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ユリイカ へそ篇

へそ、この役立たぬもの。

母体と赤子を繋ぐ重要な栄養供給路だったのも今は昔、出産後には無用の長物と化すただの遺物。腹部の美しくあるべき起伏に余計な穴を穿ち、汚らしい垢の溜り場と成り果て、胡麻のくせに悪臭を放ち、挙句の果ては人によって出っ張りもする。こんな無用有害なものは人体から一刻も早く消え去るべきではないか。それなのにドーナツの穴よろしく形而上学的謎として長々と身体の中心に居座っている。私はこのへその不条理にずっと行き場のない憤慨の念を抱いてきた。しかし、その偏見は覆されることになった。へそよ、私が間違っていた。

きっかけは一本の電話だった。近々出産を控えた遠方の友人と電話で話をしていたとき、彼女はこう言った。赤子がすくすくと成長し、お腹が大きくなってくるにつれ、段々とへそが奥からめくれ上がってきていると。そう、彼女は私に告げたのだ。

 そうだったのか! へそは、出産へ向けて張り詰めてゆくお腹の皮膚の「予備」として、その時までじっとそこに隠れ潜んでいたのだ。雪解けを待つふきのとうのようないじらしさ。へそよ、君は無用有害なんかじゃない。立派な機能を持った、一人前の器官だよ。

ありがとう、ありがとう、へそ。


ディプロの記事へのコメント

昨晩ある友人から送られたメールに答える形で、「ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子メール版」収載のフランソワ・ジュリアン氏(パリ第七大学教授)による「西洋思想によって照射された中国思想」という寄稿に対するコメントを書いた。折角なのでここにも掲載しておきたい。

元の論文はこちら。

http://www.diplo.jp/articles06/0610-3.html

 フランソワ・ジュリアン氏の論考、興味深く読みました。前半と後半の論調のずれや、その他疑問に思う箇所が多々ありますが、細かい論点は除いて、主要と思われる点について愚考を開陳することで返信とさせて下さい。元より中国の内情に遠いため、具体性に欠けた先刻承知の論点ばかりかもしれませんが、よろしくご笑覧下さい。

 ジュリアン氏は、中国型思考の特徴として自ら規定する「包摂性」を、あらゆる見解を自分の見解のうちに包摂し、それらの間に対立関係を立てることなく、様々な立場の間を融通無碍に移行することのできる「中庸」であると規定しています。しかし、西洋的思考との複眼視による「外部光学」を企てる氏の視点からは、西洋的思考と中国的思考とをある種の対立・対比関係として捉えようとする根深い習慣(必ずしも意図的ではないでしょうが)が伺えます。ここで、中庸が「包摂」しうる範囲をどのように捉えるかによって、二通りの解釈が成り立ちます。

(1)中庸は文字通り「あらゆる見解」を包摂できる。

 このように「包摂性」を解釈すれば、ジュリアン氏の論点には矛盾が含まれることになります。この解釈のもとでは、もし事態を中国的思考様式の側から捉えるならば、西洋的思考が自らと対立するオルタナティブを構成すると考えることはできないはずです。西洋的思考は「あらゆる見解」のひとつとして包摂され、したがって、氏が指摘する西洋文化の侵入・流入による「古傷」も(論理的な可能性として)生じえなかったはずです。しかし、中国は実際にその時点で何らかの心理的負債を受けたようにみえますし、現在その「古傷」に対する何らかの態度決定が迫られているということも確からしいことだと思います。だとすれば、この解釈を受け入れたまま、その古傷の要因を異なる思考様式への屈服にあると考えることはできないのではないでしょうか。

(2)中庸は「現実的」思考に基づく「あらゆる見解」を包摂できる。

中庸において包摂しうる可能な立場は「現実的」思考の産物に限られると考えるならば、「理念的」思考を特徴とする西洋的思考はその「外部」に位置づけられることになるでしょう。しかし、たとえそれが「理念性」を特徴とするとしても、西洋的思考を包摂から排除される特権的なものと考えるべき理由は何なのでしょうか。氏が指摘するように、「中国人は二重文化性に非常にうまく適応して」いるのだとすれば、たとえ中国人自身がそれらを(中華文明への誇りを顕示するために)対立的に捉えていたとしても、それは西洋的思考が中庸へと包摂されうる証拠なのではないでしょうか。

これら二つの解釈ともジュリアン氏の他の見解との不整合という難点を含んでいると思います。ジュリアン氏は(2)の解釈をとっているのでしょうが、その論拠は希薄であると思います。「包摂性」という概念に対するより洗練された概念規定なしに、それを西洋的な「超越性」や「理念性」と対比させることはできないのではないでしょうか。

西洋的な「モデル的思考」についても一言。ジュリアン氏は区別していませんが、科学的思考におけるモデルの働きと政治的思考におけるモデルの働きとは区別されるべきでしょう。一方で、科学的思考におけるモデルはそれ自体が現実へとフィットするように仕立て上げられるべきものであるのに対し、政治的思考におけるモデルは逆に現実がそれへとフィットするように導かれるべきものです。もちろん、科学においては実験によって検出される現象それ自体が仮説としてのモデルの存在を前提するわけですし、政治的思考においても反省的均衡によるモデルの調整が生じうるわけですから、このような明確な対照が現実に妥当するわけではありませんが、「適合方向」の相違は確かに認められると思います。そして、この違いが政治的思考を「真理」モデルで考えることの問題点を部分的に構成しているのではないかと思います。それはすなわち、科学的モデルの「普遍性」に比すべき、政治的モデルの「普遍性」は存在するのか、という点にあります。

理念的な思考方法によってモデルを導く場合、そのモデルの「普遍妥当性」が実際には歴史的・局所的条件を前提している可能性は大いにありうるのではないでしょうか。そして、導かれたモデルを他の国や地域へと適用しようとする場合、局所的な条件の違いがモデルの妥当性にとって本質的な作用を及ぼす可能性も大いにありうるのではないでしょうか。だとすれば、西洋的な科学的思考における輝かしい成功をもって、同様の思考様式による政治的思考に信頼性が担保されるわけでは必ずしもないと思います。近年におけるテロリズムや民族紛争の頻発のひとつの素因をなしているのが、西洋的な政治・経済モデルを外から強制しようとした(あるいはしようとしている)ことにあるとすれば、西洋的思考様式に対する素朴な称揚は控えるべきだと思います。

無論、ジュリアン氏の狙いは西洋的思考様式を称揚することにあるのではなく、中国の現実の政治にとって理念的な思考様式が必ずしも定着しておらず、それが中国の政治的開化にとって妨げとなっているという指摘を行なうことにあります。この辺りの論点の評価に関しては、中国の歴史や内情に通じていない私の手にはいささか余ります。しかし、中国が自らの内部から別様の政治形態を思考する能力を育ててゆく道もありうるだろうと思います。そのためには、単に抽象的に「理念性」の必要を唱えるだけではなく、どのような理念性が中国の思想風土から育ち得るかを思考すべきだと思います。これは日本についても同様でしょう。

クレジオ特集

地上の夢
ル・クレジオ―地上の夢

私の最も畏敬する小説家ル・クレジオの来日を記念した、現代詩手帖特集版『ル・クレジオ 地上の夢』が出版された。彼の新作邦訳やエッセイ、インタビュー、貴重な対談(吉増剛造と今福龍太、寺山修司と豊崎光一)、研究家諸氏による諸論考などが収められている。クレジオに関心のある向きには必読でしょう。

彼の『物質的恍惚』を二十歳頃に初めて読んだ時、自分が人間であることを忘却させるほどの異質な感覚群に幾度も幾度も襲われたことを覚えている。それは、彼の文体が通常の物語が成立する「人格」の語られる尺度を遥かに通り越しているからである。彼の文体は、「私」という自意識へと統一されるのではなく、逆にそれが崩壊するほどまで自意識を先鋭化することで、自他の間にある境界を溶解させる。彼はそれによって、人称的なレベルにおける世界の存立様態を歪曲させ、分裂させ、動乱させる。時間感覚や距離感覚は、極小へも、極大へも、自在に往還してゆく。彼の文体のなかでは、視点が極小化され、蟻にぴったり同一化したかと思うと、次の瞬間には視点が極大化され、宇宙の星々へと同一化してしまっている。人間が「合理的な人間」として生きるままでは踏み越えることができない様々な制約を、彼の文体はいともたやすく踏み越えてゆく。それは単に放埓な夢想に近づくということではない。逆説的ながら、この現実から離れれば離れるほど、現実そのものが根源的な相において作家の筆へと肉薄してくるのである。

 西洋世界が「天使」という肉体をもたない純粋な精神体を発明したのは、人間を映す「鏡」を手に入れたかったからだという話を聞いたことがある。われわれが全身像をよく見えるように鏡に映すためには、鏡そのものはわれわれよりも大きくなくてはならない。不完全な人間を映し出すためには、完全な存在である天使が必要だったのである。換言すれば、現実は、現実からの視点によっては理解することができない。現実を理解するためには、現実を越えた鏡が必要なのである。

 クレジオの初期作品には、どこかこの「天使」の役割に似たところがある。ただし、それはいわば「逆さ天使」なのだろう。そして、クレジオという逆さ天使は余りにも度を越して大きすぎるため、現実の根源へ向かうには適しているが、現実の秩序を逆照射するにはまったく向いていない。われわれは巨大な凹面鏡に映されるように、奇妙に拡大され歪められた仕方で映し出されるわれわれをクレジオの文体のなかに発見する。『物質的恍惚』では、視線が極大へも極小へも自在に滑空してゆくのに対し、焦点のあった尺度、人格が成立する現実の尺度だけはまったく登場しない。すべては等価なものとして併置され、根源へと向かう文体の運動のなかに溶解してゆくのである。クレジオの初期作品に真っ当な「他者」が登場しないのは、それが根源へ向かう運動の犠牲になっているからである。あの頃のクレジオには、恐らくそうであるより他に語り様はなかったのだろうし、それがクレジオの最大の魅力でもあるのだが。

 時々、あんな作品を書いた彼がまだこの地上に生き、いまだ筆を走らせているということが信じがたいことに思えてくるときがある。彼の存在そのものが「地上の夢」であるという気がしてくるのだ。


アフォリズム始めました

もしあなたが発する箴言を人口に膾炙させたいならば、それはあまり鋭い洞察を含んだものであってはならない。なぜなら、あまりに鋭い箴言は、そこに含まれる洞察を辿り直すのに時を要し、会話の円滑な流れを堰き止めるため、箴言の主要機能――会話に薬味を添える――を果たすものとしては失格だからである。箴言の原則は、「凡庸より上、天才より下」である。したがって、作家の最良の言葉はしばしば忘却の憂き目に会うのである。

子守唄に導かれ

今月からYahoo!動画にて、「ロシアアニメ傑作選」が公開されているようだ。アニメーション映画界において〈詩聖〉として並ぶものなき孤高の地位を確立しているユーリ・ノルシュテイン氏の作品も無料で観覧できる(私は彼の作品を映画館でも観たし、DVDも持っている)。私が深い感銘を受けた作品「話の話」も含まれているので、いまだ見たことのない方は是非。

http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00162/v00363/

 ノルシュテインの作品を形容するならば、「神は細部に宿る」という言葉こそふさわしい。彼によって描きだされた事象は、それが人物の仕草であれ自然の現象であれ、高度な凝集性をもち、内部から溢れんばかりの輝きを放ち始める。

ミース・ファン・デル・ローエがどういった意味を「神は細部に宿る」という言葉に込めて使用したのかは知らないが、「神」とは「全体的調和を司るもの」の謂いであろう。だが、ノルシュテインが描き出す「全体的調和」とは、いわば初めからそこにあるもの、われわれがそこに包まれているもの、外側から与えられるものではない。ゴーゴリの『外套』の主人公である小役人アカーキイ・アカーキエウィッチのように、誰からも賞賛されずとも、ひとつの仕事をたゆまぬ継続のなかに磨き込んでゆくことで現われでてくる「調和」である。それを「誇り」と言い換えてもいいが、それは他人に顕示し自慢するという「誇り」ではなく、自らのうちに秘め、それを核として人生が組織されてゆくところの「誇り」である。

彼が描き出す線描は、それが描き落とされたその瞬間からすでに年月の刻印を受け、いわば古びているかのようだ。それは、ノルシュテインの生全体をその線描がすでに通過してきているからである。山脈に舞い降りた雪が伏流水となって時に洗われ、磨かれ、やがてふくよかな味わいをもって湧き上がるように、それは古びているがゆえに豊かであり、すべてを新しく始めさせる力をもつのである。


恩師の活躍に接する

 現在、両親の旅行中の留守を預かるために実家に帰省している。前回の投稿で紹介した猫君の世話が必要なので、学生身分の私が駆り出されているというわけだ(パソコンと文献があればどこでも勉学はできるのだ)。この猫君、あどけない顔をしてなかなかのやり手である。油断して素足を椅子から垂らしていると、誰彼かまわずそっと忍び寄って噛み付いてくる。その歯はまだ幼く生え揃っていないとはいえ、決して脆弱というわけではない。素肌に食い込むその犬歯は、殺傷能力を秘めた獣のそれである。だが、可愛いので誰も本気では叱らない。きっとそのうち思い上がって心も体も図太い猫に成長していくことだろう。

 さて、実家の静かな環境を利用して、今日から修士論文の本格的な執筆に取り掛かろうと思う。論文のためのノートは十数万字に達しているが、もうそろそろタイムリミットである。あと一ヶ月くらい関連書籍や論文を耽読・精読していたいが、きりがないので書きながら読むというスタイルに移行して、平行作業のなかで質・量ともに拡張・深化させていくことにする。早く第一稿を上げ、次々に稿を重ね改良していかなければ。また更新の停滞する日々が続くと思うが、疲労に打ちのめされながらも何とか粘り強くやっているので、皆様もそれぞれのフィールドで奮闘して下さい。

 最後に、私の恩師の携わった書籍が文庫出版されていたので、それを紹介しておきたい。この『電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ』は何度かメディアでも採り上げられているのでご存知の方もいらっしゃるかと思う。この本の舞台となっている子ども病院の院内学級の担任をなされている山本厚男先生は、私の中学時代の担任の先生である。山本先生は音楽担当の教諭であらせられたが、中学校での職務を終えられた後、この院内学級を設立するために子ども病院へ移られていったそうである。多くの子どもたちに慕われ、時には回復した子ども達を送り出し、時には悲しい別れに晒され、子どもたちに教えられながら改めてご自身の教育論を磨かれたのだと思う。現在は講演活動などもされているようである。先生はこの本に寄稿された文章の中でこう述べられている。

「治療という苦行の中から得た何らかの思いをはっきりとした形に残して退院していくならば、その子たちは人間的にもすばらしいおみやげをもって退院していくことが出来ます。……院内学級の担任である私の思いは、治療に耐えていく苦行から得た子どもの思いを、より意識化できるようにしてあげることです」。

こうした先生方の思いに介添えされ形にされた子ども達の思いが、それぞれの言葉で詩や作文に残され、この本には納められている。そこには、率直な言葉のなかに込められた、それぞれの生命と向き合う子ども達の懸命なまなざしが息衝いているのを感じることが出来る。院内学級はまだまだ全国的に未整備であり、それを整備するために解決すべき問題も多いと聞く。短い本なので皆様もぜひ手に取って、それぞれに関心を向けてもらえれば教え子の私としても幸いです。

すずらんの会
電池が切れるまで―子ども病院からのメッセージ

ねじまき猫

去年の夏の初めに、私が大学に入る前から実家で飼っていた愛猫チョロリン(私の名誉のために言っておくが、命名したのは父親である、♂)が交通事故で亡くなってしまった。享年八歳であった。実家は国道に面しているため、歴代の飼い猫たちも何匹か轢かれて亡くなっている。飼い猫たちも普段は国道を渡るようなことはしないのだが、発情期になるとパートナーを探すために危険な冒険に出掛け、その際に命を落としてしまうことが多い(猫は迫ってくる車を見ると条件反射で固まってしまう)。チョロは温厚な性格の猫(去勢済み)なので大丈夫だと予断していたら、悲しいことにあれらの猫たちと同じ末路を辿ってしまった。

チョロは息子たちがそれぞれ巣立っていった後、両親の愛情を一身に浴び、まるで実の孫のような扱いを受けながら育った。まさに猫可愛がりといった感じだった。チョロに話し掛けるときには、両親の声は二オクターブくらい上がっていた。子供の出ていった家庭では、それまで子供を介して成立していた両親の関係性は、それぞれの精神的交流の様態を含め新たな再構築を迫られる。それは「両親」として培ってきた関係性のコードを「夫婦」としてコードし直す過程でもある。その過程で軋轢が表面化して崩壊へと導かれるケースも多々あるようだが、我が家の場合、間にチョロを介することで、目立った軋轢もなく再構築できたのだと思う。そういった意味で、チョロは両親の間のねじを巻く役目を買っていたのかもしれない。ねじまき鳥ならぬ、ねじまき猫である。そんな境遇だったため、チョロは歴代の猫たちの誰よりもその死を悼まれた猫となった。無類の猫好きである私も、実家に帰るたびに大切にしていたので、訃報に触れたときには悲しさも一塩だった。

そんな我が実家に新しい子猫がやってきたという。チョロリンのことが忘れられないのだろう。その猫はチョコランと命名されたらしい(ふたたび父親命名)。写真を見ると、つり目気味の可愛い奴である。まだ環境の変化に馴染んでいないせいか、緊張で少し身をこわばらせているようだ。早く逢いに行きたい。

チョコ

透明人間考

透明人間は窃視症者の夢である。なぜなら、他人に見られることなく他人を見たいというのが、あるいは「見られる自己」であることなしに純粋な「見る自己」でありたいというのが、彼らの願望だからである。無論、他人に見られる危険性に快楽を感じる類の窃視症者にとっては、透明人間になることは自身の快楽を半減させるだけである。

しかし、透明人間は本当に窃視症者の欲望を満たしてくれるのだろうか。というのも、透明人間にはモノを見ることはできないように思われるからである。

透明人間はわれわれが視覚を働かせるための条件を欠いている。われわれは、われわれの身体へと届く光を遮るからこそ、モノを見ることができる。われわれが「見る自己」であるのは、われわれの身体(特に網膜などの視覚システム)が物理的遮蔽物として、それ独自の光学的な不透過性を備えている場合に限られる。つまり、われわれが「見る自己」であるためには、同時にわれわれは「見られる自己」でなければならないのである。

しかし、透明人間の身体は透過物であるため、そこへと到達する光はエネルギーの損失や変換を被ることなしに、その身体を通過してしまう。物理的なエネルギーの損失や交換が存在しないのに、「見る」という働きだけが純粋に機能するというのは、物理法則の狂った世界でも想像しない限り不可能である。そして、そのような物理法則の狂った世界が、それでもなお、われわれの世界と緊密に類似しうるほど秩序だった世界でありうるかは疑われてよい。

この点で、透明人間に人間と同じ視覚機能を認める多くのSF物語は失格である(よく勘違いされるが、SFは科学性の装いだけが必要で科学的思考を必要としない御伽噺だというのは誤りである。優れたSFは科学的思考による綿密な考証を経ている必要がある。無論、いくら科学的に厳密であっても、物語的想像力と現実への批判精神とを欠いているならば、ペダンティックの誹りを免れないが)。

かつて、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『プレデター』という映画があったが、あの映画に登場する宇宙人(プレデター)も、半透明になる装置を駆使して人間を狩る立派な透明人間であった。あの映画はなかなか巧妙に作られていて、上述の透明人間に対する批判を上手くかわしている(製作者側が自覚していたかどうかは不明だが)。なぜなら、プレデターは赤外線センサーによってモノを見ているからである。つまり、人類にとっての可視光線を透過する装置を駆使しながら、赤外線という位相の異なる物理的エネルギーを情報として用いているのである。それゆえ、温度に関する物理的情報としての赤外線を透過しない身体を備えていれば、プレデターは「見る自己」足りうるのである。そして、赤外線は可視光線の波長域を外れているため、人類にはそのようなプレデターの身体を見ることはできないのである。こうして、プレデターは「見られる自己」であることなしに「見る自己」であるという、狩人として絶対的に有利な立場に自らを置きえたのである。もちろん、あの映画でシュワルツェネッガーが試みたように、体温を漏らさないよう泥を全身の皮膚へと塗りたくれば、われわれはプレデターから見えない不可視の透明人間となることができる。したがって、『プレデター』は透明人間と不透明人間との戦いを描いた映画なのではなく、透明人間同士の戦いを描いた映画なのである。

さて、「透明人間は本当に窃視症者の欲望を満たしてくれるのだろうか」という冒頭の問いに戻ろう。いまや次のことが明らかである。透明人間は、それが可視光線によってモノを見るような視覚システムを保持している限り、窃視症者の欲望を叶えるどころか、盲目の存在と成り果てるしかない。もし透明人間が可視光線以外の視覚システムを身に付けたとしても、もはや可視光線で見られた世界を見ることはできない。それゆえ、窃視症者の欲望が、「見られる自己」であることなしに今見えているこの世界を見たい、というものであれば、当人の欲望は原理的に叶えられることはない。窃視症者の夢は「見果てぬ夢」でしかないのである。

付記:

なお、この考察はあくまで「光学的な透明人間」に関してのものであって、「心理学的な透明人間」に関してはこの限りではない(この区別は筆者による)。

「心理学的な透明人間」とは、われわれの視覚が「注意依存的」であるという事実を利用して、当人の「存在感」を何らかの仕方で最小化し、注意の対象となるのを免れることによって、「見えない存在」になる透明人間のことである。その実現方法はほとんど語られないが、色々な物語のなかでこうした心理学的透明人間に出くわすことがある。

「視覚の注意依存性」は次の実験例に顕著である。例えば、バスケットの試合をビデオで観せられ、一方のチームのボール支配数を数えるように言われた被験者の多くは、コート中央を横切り、小躍りをして去っていくゴリラの着ぐるみにまったく気付かない。そして、後でその映像を再び観せられると、ゴリラがあまりにはっきりと映っていることに、そして、そのゴリラに気付かなかったことに驚愕するのである。つまり、ゴリラは心理学的な「透明ゴリラ」となっていたのである。このように、視覚は注意の焦点が置かれている対象以外は粗雑にしか見えておらず、注意の外(=視野の周縁)に何かがあってもほとんど識別されないのである(識別されるときにはすでに注意が移動している)。もし、注意の焦点が周囲の誰からも決して向けられないような細工が可能であれば、当人は心理学的透明人間になることができる。そのとき、当人は周囲の人間すべての「盲点」となる。


眼の愉悦

 ランダムドットステレオグラム(RDS)というものをご存知だろうか。聞き覚えはなくても見覚えのある方は多いだろう。両眼を交差させたり平行にしたりして(寄り眼にしたり遠い眼にしたりして)、紙上の横並びになった規則的なパターン配列を、両眼の視野内で左右にずらして重ね合わせて、三次元的な像を浮かび上がらせるというアレである。左右に配置された二眼のカメラで同時に撮った写真を同様の手順で重ね合わせても、同じように二次元の写真から奥行きのある像が浮かび上がってくる。

 僕は中学生時代の或る時期にこのRDSの不思議さにとり憑かれ、何冊も本を買って日がな一日眺め過ごしていたことがあった。いまや交差法(寄り眼)も平行法(遠い眼)もお手の物である。ちなみに、平行法を用いると左右や上下に並んだ間違い探しが簡単に解けるので試して欲しい。左右のイラストを融像させ(重ね合わせ)ると、間違いの箇所がチラチラと星のように瞬いて見えるのだ。これは両眼闘争という現象で、左右の視野の対応箇所に入ってくる情報が矛盾するものである場合に生じる。色の異なる二つの丸を左右の眼の前に用意して、それぞれの情報が片方の眼にしか入らないように間に衝立を置いて、左右の色を視野のなかで重ねながら眺めると、この現象が容易に体験できる。まるで両眼が喧嘩をしているように感じられるはずだ。(眼が矛盾を回避するために自動的にアスペクトを転換させているのかもしれない。滝の錯覚では相異なる印象が同時に知覚されるというが、厳密に言って、果たして眼は矛盾を許容するのだろうか)。

機械による判別が主流になる前は、偽札を見分けるのにこの両眼による融像を利用していた。左側に真札を置き、右側に判定すべき札を置く。そして融像を行うと、その札が偽札である場合、交互に眺めていたのでは気付かないほんのわずかなずれであっても、奥行きが発生したり両眼闘争が発生したりして容易に判別できるのだ。人間の眼は驚くほど精巧に出来ているのが分かる。それは生物の器官一般についても言えることであるが。

さて、RDSという装置を発明したのはユレシュという知覚心理学者であるが、人口に膾炙したこの発見によって知覚研究のパラダイムに大きな革命が引き起こされたことはあまり知られていない(そもそも知覚研究という分野自体があまり知られていない。これほど身近な研究主題は他にないと思うのだが。なぜなら、知覚とは各人がそれを通じて世界と接触している当のものなのだから。だが、大抵の場合、知覚の在り方そのものは透過されているのであって、単に知覚の対象だけが気付かれている。しばしば言われるように、最も身近なものほど最も遠いのである)。それまでは片眼で入手可能な情報を基本にして視覚が理解されていたのだが、RDSは片眼ではまったく存在しない情報が両眼によって初めて入手可能となる場合が存在するということを明らかにした。これにより、初期視覚過程(視覚処理の比較的早い段階)に対する捉え方が大きな変更をきたされることになった(詳しくは下條信輔著『視覚の冒険』を参照)。

RDSなどの特別な知覚装置、あるいは錯覚・錯視などの常態を逸脱した事例は知覚を理解する上で極めて有効な手段を提供してくれる(しかし、こうした装置の重視が知覚を実験室の現象へと拘束してきたとも言える)。それは言語障害の研究によって言語学が進展したり、恐慌の研究によって経済学が進展したりするのと類比的であろう。こうした病態的なケースを観察し分析する研究者の眼は、個別的な現象を一般性の把握のために犠牲にしているようにも見える場合があり、時に冷酷なようにも感じられる。しかし、そうした研究の進展が後に病態的なケースを予防・治療する役に立つことも多々存在するのである。無論、その場合にも研究者は個々の患者や事例の具体的な重みを軽視してはならない。

知覚は不思議の源泉であり、哲学的問題のひとつの中心である(他方の中心は言語だろう)。メルロ=ポンティも言うように、「見ること」を学び直すのは、哲学の最も基本的な在り方のひとつではないだろうか。

さて、最後に不思議な錯視をひとつ紹介しよう。リンク先の絵を三十秒間じっと凝視し、視線を絵に向けたままマウスポインタを絵の上に移動させると……。

http://www.johnsadowski.com/big_spanish_castle.html


便りのないのは何の証拠?

ある友人から長期間に渡って便りがないとき、一般に「便りのないのは元気な証拠」(便りのないのは良い便り)と言うが、この格言が有効に適用されるのは、その友人との間に他の友人を媒介とした人間関係のネットワークが張り渡されている時に限られる。ある遠方の友人aが何らかの深刻な状態に陥ったとき、その友人aの近傍にいて頻繁にコミュニケーションをとっている友人bが存在するならば、私はその友人bからの連絡を介して、友人aの状態についての情報を得ることができる。逆に、友人aとの間に一対一の友人関係しか存在しない場合には、周囲の他の人間が友人aの証言や所有物を手がかりとして私に情報を伝達してくるのでもない限り、友人aの窮境についての情報は得られない。こうした場合、「便りのないのは異常の証拠」である(この「異常」には、病気、怪我、死亡、蒸発、出家、発狂、逃避行、記憶喪失、一方的な絶縁、等々が含まれる)。これは、「便りのないのは元気の証拠」という格言に必要な「人間関係を媒介とした情報ネットワークの存在」というその適用条件を、当該ケースが満たしていないからである。

インターネットを媒介としたソーシャルネットワーキングやブログなどの隆盛により、以前よりも遠方の友人に関する情報は継続的に得られるようになった。しかし、ネット上での開示に適した情報以外の性質の異なる情報や、当人はひた隠しにしたいが私にとっては是非とも知りたい動向情報などに関しては、これらのツールを用いるだけでは不十分である。さらには、そもそもネットを活用したがらない性格の友人たちに関してはこのツールは何の役にも立たない。

さらに、その友人と離れ離れになった時点で人間関係のネットワークが成立していたからといって油断はできない。こうしたネットワークは生き物のように可塑的なものであり、時間の変化につれて結合状態の疎密を変え、結節点と結節線の数も流動してゆく。それゆえ、ある時点で堅固な結びつきを有していたはずのネットワークが、気付いてみたらばらばらに解けていたという事例は多々存在しうる。それを防止するためには、信頼関係の厚い友人を介して当該のネットワークの緊密度についての情報を定期的に更新してゆく必要がある。その上で、緊密度の変化に応じて必要な措置を講じねばならないだろう。無論、そうしたネットワークから外れてしまって音信不通となる友人も出てくるかもしれない。その場合にはやはり、ネットワークの結節点を一個一個辿って当人へと行き着くか、当人からの便りを待つか、どちらかより他に手はない。

個々の友人が多忙さを増して連絡を頻繁に取れなくなってゆくなかで、大切な人間関係を継続的に保ち続けるためには、やはりネットワークを活用した情報リンクの維持に気を配る必要がある。最低限のこととして、自分自身も含め、行方不明者は出したくないものである。