恩師の活躍に接する | autochromatics differencia

恩師の活躍に接する

 現在、両親の旅行中の留守を預かるために実家に帰省している。前回の投稿で紹介した猫君の世話が必要なので、学生身分の私が駆り出されているというわけだ(パソコンと文献があればどこでも勉学はできるのだ)。この猫君、あどけない顔をしてなかなかのやり手である。油断して素足を椅子から垂らしていると、誰彼かまわずそっと忍び寄って噛み付いてくる。その歯はまだ幼く生え揃っていないとはいえ、決して脆弱というわけではない。素肌に食い込むその犬歯は、殺傷能力を秘めた獣のそれである。だが、可愛いので誰も本気では叱らない。きっとそのうち思い上がって心も体も図太い猫に成長していくことだろう。

 さて、実家の静かな環境を利用して、今日から修士論文の本格的な執筆に取り掛かろうと思う。論文のためのノートは十数万字に達しているが、もうそろそろタイムリミットである。あと一ヶ月くらい関連書籍や論文を耽読・精読していたいが、きりがないので書きながら読むというスタイルに移行して、平行作業のなかで質・量ともに拡張・深化させていくことにする。早く第一稿を上げ、次々に稿を重ね改良していかなければ。また更新の停滞する日々が続くと思うが、疲労に打ちのめされながらも何とか粘り強くやっているので、皆様もそれぞれのフィールドで奮闘して下さい。

 最後に、私の恩師の携わった書籍が文庫出版されていたので、それを紹介しておきたい。この『電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ』は何度かメディアでも採り上げられているのでご存知の方もいらっしゃるかと思う。この本の舞台となっている子ども病院の院内学級の担任をなされている山本厚男先生は、私の中学時代の担任の先生である。山本先生は音楽担当の教諭であらせられたが、中学校での職務を終えられた後、この院内学級を設立するために子ども病院へ移られていったそうである。多くの子どもたちに慕われ、時には回復した子ども達を送り出し、時には悲しい別れに晒され、子どもたちに教えられながら改めてご自身の教育論を磨かれたのだと思う。現在は講演活動などもされているようである。先生はこの本に寄稿された文章の中でこう述べられている。

「治療という苦行の中から得た何らかの思いをはっきりとした形に残して退院していくならば、その子たちは人間的にもすばらしいおみやげをもって退院していくことが出来ます。……院内学級の担任である私の思いは、治療に耐えていく苦行から得た子どもの思いを、より意識化できるようにしてあげることです」。

こうした先生方の思いに介添えされ形にされた子ども達の思いが、それぞれの言葉で詩や作文に残され、この本には納められている。そこには、率直な言葉のなかに込められた、それぞれの生命と向き合う子ども達の懸命なまなざしが息衝いているのを感じることが出来る。院内学級はまだまだ全国的に未整備であり、それを整備するために解決すべき問題も多いと聞く。短い本なので皆様もぜひ手に取って、それぞれに関心を向けてもらえれば教え子の私としても幸いです。

すずらんの会
電池が切れるまで―子ども病院からのメッセージ