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倫理学3


1. 仮言命法と定言命法

 『道徳形而上学の基礎づけ』において、「いかに行為すべきか」という倫理的問いに対する基準としてカントが見出したのは、われわれの行為が絶対的・無条件的な良さを満たすためには、その行為が「定言命法」という形式において命じられていなければならない、というものだった。「定言命法」とは、ある行為がそれ自体において、他の目的に従属することなく、客観的必然性を持つと表現する命令形式である。これに対して、ある目的を実現するための手段としての行為を表現する命令形式が「仮言命法」である。われわれの行為が「仮言命法」によって命じられているならば、その行為は経験的な原理に基づくことになり、その限りにおいて相対的な価値しか持ちえない。定言命法に基づく行為のみが、ア・プリオリな普遍的妥当性を満たしうるのであり、われわれの義務として、単なる格率ではなく道徳法則として妥当しうるものなのである。そこで、カントは次のような「普遍的法則の定式」を打ち立てたのである。すなわち、それは「汝の格率が普遍的法則となることを、汝が同時にその格率によって意志しうる場合にのみ、その格率に従って行為せよ」(1)という定式であった。(492字)


2.マッキーの普遍化の原則と問題点

 カントによれば、われわれの行為の格率がそれ自体において道徳的であるために満たすべき条件は、その格率が客観的法則として表現されなければならないというものだった。現代倫理学の表現に従えば、格率の「普遍化可能性」が道徳的妥当性を規定する、と換言できよう。マッキーは、この普遍化可能性の原理を次の三つの段階に分節し、定式化する。まず第一段階の原則は、「数的差異を度外視すること」である。しかしこの原則のみでは重要視あるいは除外すべき差異に対して実質的な拘束力を持たない。従って、次の第二段階の原則は、「自分を他人の立場においてみること」となる。これによって、性質的な差異に対する考慮が可能になるが、しかし次の第三原則を満たすべき条件としなければ、他者の立場に身を置くという所作は不十分である。第三段階の原則は、「自分自身とは異なった趣味や対立する理想を考慮に入れること」である。

 マッキーの普遍化の原則の問題点は、その一定の限界にある。実践的拘束力の不足、性質的差異に対する取捨選択の決定不能などが普遍化の原則の呈する限界点を境界づける。また、合理的な行為者が普遍化しうると見なす行為を行うにもかかわらず破滅がもたらされてしまう「共有地の悲劇」の問題も挙げられよう。(528字)


3.討議倫理学における規範の根拠づけの仕方と問題点

 ハーバーマスによれば、コミュニケーション的行為に参与する全ての者は、その前提となる「背景的同意」が含む妥当要求を潜在的に想定している。しかし、この妥当要求が疑問視された場合には、こうした規範の正当性を吟味する「討議」が行われ、「理想的発話状況」に基づいた形式的な合意形成の手続きによって規範の根拠付けがなされる。

 ハーバーマスは真理の合意理論を採用しているが、討議における真理の確証の原則として、(1)「討議倫理学の原則」、(2)「普遍化の原則」が挙げられる。(1)は規範の妥当性要求の基準として、関係者全員の合意を要請するものであり、(2)は当の規範を遵守することで各個人の関心の充足にとって生じると予見される結果が総員にとって非強制的に受け入れうるものである場合にのみ、合意形成がなされるというものである。

 討議倫理学に対する問題点としては、「理想的発話状況」というコミュニケーションの前提を根拠とするだけでは、実践的な現実の場において真理を保証することができないという点が挙げられる。(443字)


4.自己目的性の要求と道徳感情の関係

 カントの道徳哲学において、人格および人間性は他の自然的諸対象(=物件)とは隔絶した比類ない価値を有しており、それを目的自体として尊重しなければならず、たんに手段として扱ってはならないとされた。ここから自己目的性の形式的な要求が帰結する。われわれは他者を人格として、すなわち目的自体として扱わなければならないのであり、そのための義務と責任を負うているのである。

 プラトン、アリストテレス、アダム・スミス、ストローソン等による道徳感情の分析では、人間の徳性の探求がなされているが、とりわけストローソンの分析において、自己目的性の要求の基礎づけに対する試みがなされている。

 ストローソンによれば、人間の間人格的な態度への自然なコミットメントにおいて見出される反応形式の分析によって、われわれは自発的で前‐反省的な態度において、他者がわれわれを目的自体として尊重し扱うことを期待していることを理解することができる。人間のプリミティヴな反応の内に、すでに「人間は人格である」という態度が表れているのである。(446字)


5.キケロのpersona概念に基づく幸福概念

 personaは「仮面」という語義を持つが、そこからわれわれが自らの生の舞台において演じるべき「役割」という意味が派生した。キケロはこのpersona概念を四つに分節化する。まず第一は、誰しもがその枠内にあるところの「理性的・倫理的本性」であり、第二は、個々人が自然によって与えられた本性や気質であり、第三は、偶然的な外的・社会的事情によって規定される役割であり、最後は、われわれが自由な判断によって身につける役割である。

われわれの「生の形式」はわれわれの自由な意志によって主体的に選択されなければならないが、同時にわれわれの自然的本性と社会的諸条件に合致し、調和するものでなければならない。理性によって与えられる道徳法則は、それの内で自らの「生の形式」が展開される枠組みをなす。こうしたpersona概念から、現世的な幸福概念が導き出される。すなわち、幸福とはわれわれが自らの「生の形式」において、自己自身に応じた役割を演じ、実現することである。(424字)


6.実質的な自己目的性の原則

 キケロの幸福概念によれば、われわれの幸福は自らの生の形式を自己自身に応じて選択し実現するところに存ずる。その前提として、現実的自由としての決断の自由と行為の自由が不当に制限されることなく確保されていなければならない。決断の自由とは、「生の形式」の選択についての自由であり、行為の自由とは、決断を実行に移す能力と可能性についての自由である。

 ところで、われわれは他者の人格性に由来する自己目的性の形式的な要求を命じられている。ここから、自らの行為に関する相互的責任の要求が帰結する。われわれは、自らの行為に対し、責任を負いうるような仕方でそれをなす義務を負っている。われわれの「生の形式」は常に間人格的に編み上げられてゆくものである限り、幸福概念は自己目的性の要求を充足するようなかたちで再定式化されなければならない。こうして実質的な自己目的性の要求は以下にように定式化されるだろう。「われわれは、自らの行為に関わる全ての人々の決断と行為の自由を理由なく制限しないように、そしてこれらの自由を、他者が自らに指定し可能にする範囲において促進するように、行為せよ」。すなわち、相互的な現実的自由の実現が、われわれに課せられた実質的な自己目的性の欲求なのである。(526字)


7.ロールズの正義論

 ロールズはその著『正義論』において、功利主義的な正義観に対抗し、社会契約論の現代的再構成を行うことにより、「公正としての正義」を提唱した。ロールズはまず仮説としての原初状態を想定する。そして、その状態において合理的選択能力を有する人々が、討議によって自らの採るべき正義原理を選択する。その際、人々は自らの生活水準に対する知などを持たない状態にあり、「無知のヴェール」の背後にあるとされる。ここで「マキシミリアン・ルール」を適用することにより、承認されるのは以下の「正義の二原理」である。第一原理は、「各人は、他人の同様な自由と両立しうる限りでの最大限の基本的自由に対する平等な権利を持つべきである」というものであり、第二原理は、「社会的、経済的な不平等は、それらが()全ての人の利益になることが期待され、しかも()すべての人に開かれた地位や役職に割り当てられる、というように取り決められているべきである」というものである。(2)()は「格差原理」であり、()は「公平な機会均等原理」である。(446字)



8.暴力が倫理的に正当化されうる条件

 暴力ないし強制とは、他者をその意志に反してあることをさせたり、逆にさせなかったりすることであり、あるいは他者に害悪を与えるという目的をもった、人間の人間に対する直接的ないし間接的影響力の行使である。暴力は他者の毀損であるため、通常は倫理的に正当化されることはない。しかし、われわれは日常において暴力を行使せざるを得ないような切迫した状況下に置かれることがある。こうした場合、不当な暴力と正当化されうる暴力との間の境界はどこに位置するのだろうか。換言すれば、暴力の行使が倫理的に正当化されうるための条件とはどのようなものであろうか。暴力の行使を道徳的に正当化するための必要条件は、関係者が、彼が強制されることをするあるいはしない義務をもっていることである。しかし、これは用いられるべき最後の根拠であり、われわれは可能な限りの手を尽くして暴力の行使を抑制しなければならないであろう。(389字)


9.自然主義的誤謬と合成の虚偽

 「自然主義的誤謬」とは、事実判断から価値判断を導く論理的に不当な手続きのことである。例えば、功利主義の基礎づけにおいて働いているのがこの不当な手続きである。ほとんどの功利主義者は、「すべての人が快楽を望んでいる」という事実命題から、「快楽が善である」という価値命題を導出しているが、善という価値を「事実」の内に根拠づけることは自然主義的誤謬であり、論理的に不当だと言わざるをえない。

 また「合成の虚偽」とは、個々のものは真であるとしても、それを合成した全体に関しては偽になるという論理的な誤謬のことである。ミルが「最大多数の最大幸福」という功利主義の基本テーゼを導出する際に働いているのが、この合成の虚偽である。「すべての人は自分自身の幸福を望んでいる」という命題は真であるとしても、ここからミルが導出したような「すべての人は全体の幸福を望んでいる」という命題は帰結しない。ミルはここからさらに「全体の幸福は望ましい」という価値判断を導出したが、ミルはこの一連の推論において、「合成の虚偽」と「自然主義的誤謬」という二重の不当な手続きを犯しているのである。(477字)


10.功利主義の問題点

 自然主義的誤謬と合成の虚偽に関しては前問で言及したので、ここではそれ以外の問題点を採り上げる。

 古典的功利主義における快楽主義に対しては、快楽という語に対する言語分析によって疑義を唱えうる。快楽主義によれば、すべての者は快楽を欲する。そして、最高善とはすべての者が欲求するところのものである。ゆえに、快楽こそが最高善である。しかし、言語分析によって示されるのは、最高善として規定された快楽とは快楽一般ではなく快楽の対象(=欲求の対象)であるという洞察である。従って、上述の快楽主義の三段論法は空転しているのである。

 選好功利主義は、選好の可謬性と非社会的・病的な選好をどう考慮するかという問題に対して、「現実の欲求」と「情報を与えられた欲求」とを区別することによって対処しようとする。しかしこれに関しては、両者を区別することの困難と、それが道徳的エリート主義につながる危険があるという異議が挙げられる。

 さらに、ロールズによって唱えられた功利主義批判を挙げよう。ロールズによれば、功利主義を採用すれば、全体の幸福のために少数者の犠牲を強いるような選択を許してしまう。功利主義は分配原理を欠いており、正義の原理を説明することができないのである。(518字)

倫理学2


1.われわれはつねにすでに倫理ないし道徳のうちに生きているにもかかわらず、なぜ倫理や道徳について学問的に反省する必要があるのか。〈倫理〉および〈道徳〉という言葉の語源を参照し、道徳的判断に関する基礎づけの諸類型とその問題点を挙げながら、説明せよ。


 ヨーロッパ諸言語における倫理や道徳という言葉は、一方はギリシア語、他方はラテン語のうちに由来を所持している。倫理を意味する“ethics”(英)や“Ethik”(独)、“ethique”(仏)という語は、「住み慣れた場所」を意味するギリシア語“έθος”をその語源としている。ここから、「住み慣れた場所」(=共同体)において形成される「慣習・習俗」を意味するようになり、我々がそうした慣習のうちで生活を営む過程で内在的に形成される「性格」を意味するようになる。他方、道徳を意味する“moral”(英)という語は、ラテン語の“moralis”に由来するが、これも「慣習」を意味している。日本語の倫理や道徳という語も語源的には、共同体を構成している秩序、つまりは慣習や習俗を意味している。

 こうした諸語の語源から看て取れるように、「倫理」という語はなべて共同体において見出される習俗や慣習を意味しており、学問としての「倫理学」もひとまずはその学的領域をそうした慣習や習俗のうちに定置せざるを得ない。

 アリストテレスの立てた「いかに行為すべきか」という倫理学の探求すべき課題は、「いかなる規則に従うべきか」という問いでもある。なぜならば、我々は無意識的にせよ、常に何らかの規則に従って行為しているからである。ところで、我々の通常暮らす社会においては、一般に〈良い〉という言葉はその社会の慣習や習俗に適合した行為に与えられる。それならば、「いかなる行為に従うべきか」という問いは、自らの属する社会の規範に従うべきであるという答えに辿り着く。しかし、こうした答えは即座に社会的規範の多様性という相対的状況に直面せざるをえない。では、そうした社会的規範を離れた自律的な価値基準は存在するのだろうか。ここで、以上の議論を含め我々が行っている道徳的基礎づけの諸類型を検討してみることにする。

 第一に、事実を引き合いに出す論証。例えば「難民支援」などを道徳的であると主張する場合がこれに当たる。ここで提示される事実は、それの背景に一般的価値観ないしは規範が表明されている時には妥当であるが、偏見が表明されているときには妥当ではない。例えば、「ユダヤ人虐殺」はその背景に人種主義という偏見を備えているがゆえに、道徳的ではないとされる。しかし、規範と偏見の間に明確な線引きを施すことは困難である。「難民支援」の背景にある普遍的ヒューマニズムも一種のイデオロギーだからである。さらにこうした事実的妥当性の主張は行為それ自体の「よさ」を問うものではなく、事実と規範の乖離を埋めることは出来ないと考えられる。

 第二に、感情を引き合いに出す論証。これは、感情自体が受動的(passive)な性質のものであるため、それがいかに強烈なものであろうと、道徳的基礎とはなりえないのである。

 第三に、可能的結果を引き合いに出す論証。これはその行為によって生じてくる結果を根拠にする「功利主義」などの主張である。しかし、結果や目的によって行為は単純に正当化されえない。悪意を持った行為が結果として功利主義的価値に寄与する場合があるからである。

 第四に、道徳的基準を引き合いに出す論証。これに対しては上述のように、社会によって道徳的基準は多様であり、社会的規範はそれ自体相対的なものに留まるという問題点が指摘できる。

 第五に、道徳的権威を引き合いに出す論証。これは親や国家権力、古典、法律などの権威によって自らの行為を正当化する場合である。しかし、自らの行為は意図的なものである限り、その責任をいかなる権威にも預けることは出来ないのである。

 第六に、良心を引き合いに出す論証。我々は良心を誤りなき神の声のように見なしがちであるが、良心とは教育や社会的生活によって内面化された権威的規範に他ならないのではないか。だとすれば、良心に訴える論証は第五の道徳的権威を引き合いに出す論証と同様の問題点を抱えていることになる。

 以上、道徳的基礎づけの諸類型を概観してきたが、そのどれも我々に満足の行く結果を与えなかった。であるならば、我々はこうした諸類型を越えてさらに学問的反省を深化してゆく必要があるということになろう。(1685字)


2.強盗に強迫されて金庫を開けた社員の行為は、意図・自由・責任という観点からどのように記述され、評価されうるか。アンスコム(志向論者)と黒田亘(因果論者)の見解を参照しつつ答えよ。

 

アンスコムによる意図的行為の基準は、「それについて我々が「観察に基づかない知識」を持ちうるもののうち、「なぜ」それを行ったかということをも観察によらずに知ることができる行為」(プリントp.13)である。この基準に照らして評価するならば、金庫を開けるという社員の行為は意図的であり、従って自由な行為と見なされ帰責可能である。社員の行為はアンスコムの基準に適った自己知を有しているからである。

一方、黒田亘による意図的行為の基準は、「行為者自身の欲求と認識を原因として生じた行為」(プリントp.13)である。同様にこの基準に照らして評価するならば、金庫を開けるという社員の行為は非意図的であり、従って不自由な行為と見なされ帰責不可能である。なぜなら、黒田の意図的行為の基準にはアンスコムにはなかった「欲求」という概念が含まれているからである。社員の行為は強制されたものであり、自らの欲求に背いてなされたものなのである。

しかし、ある行為が非意図的であるということが、単純に帰責不可能であるということを帰結するのだろうか。オイディプスの老人殺しと父殺しの間の揺らぎというものを考慮するならば、この帰結関係は単純には主張できないだろう。老人殺しと父殺しは同一の行為についての記述ではあるが、オイディプスの欲求の有無は両者に対して異なる。従って、同一の行為について、一方は帰責可能で、もう一方は帰責不可能であるということになる。基礎行為が欲求に基づき、従って黒田の基準によれば意図的であった場合、意味的生成の関係項についてそれぞれ意図的であるかどうか吟味しなければならないということであろう。ただし、今回の社員の行為については基礎行為が欲求に基づいていないため、意味的生成の関係項すべてにおいて非欲求的であるということができよう。この点に関しては、社員の行為は帰責不可能ということになる。

さらに考えてみよう。そもそも欲求というものを意図的行為の基準に繰り入れる場合、ある行為に欲求が伴っているかどうかを反省的に知りうるのは行為者のみである。意図を語る際に行為者が特権的な立場にあるというこうした理解は、意図が心的な現象であり、行為者のみによって知られるという前提に立っている。こうした意図に関する私秘的な前提に立つ限り、社会的責任に対する帰責について公共的に問うことは一定の限界を持たざるを得ないだろう。

では、アンスコムの基準に従った場合について考察を進めてみよう。このとき社員の行為は意図的行為であるが、問題は他行為可能性が選択可能なものとして残されていたか、ということである。金庫を開けるという社員の行為は〈自分の命を守る〉という意図の下でなされた自発的行為である。ある行為が意図的であることが単純に帰責可能であることを帰結するならば、この社員は責任を問われなければならない。しかし、他行為可能性が論理的には存在していたとしても、それが現実的には選択不可能であったとすれば、社員の行為は意図的ではあっても不自由なものであり、従って帰責不可能であるということになる。この場合、他行為可能性とはすなわち開錠の拒否である。しかし、開錠の拒否が強盗から殺害されること、つまり死を意味しているとすれば他行為可能性は現実的には選択不可能なものである。であるならば、アンスコムの基準に照らして意図的行為であるとされても、社員の行為は不自由なものであり、免責されるということになる。(1428字)


3.「いかなる仕方で行為すべきか」(アリストテレス)が倫理学の問いであるとすれば、歴史主義や進化論的倫理学はこの問いに対して適切に答えることができるか。「人間の本性」と「自然主義的誤謬」という概念を使用して答えよ。

 

 一般に、歴史主義とは真理・法・倫理など、すべての思想とすべての価値を、特定の歴史的時期、特定の文化の所産として捉え、歴史的コンテクストで了解する歴史相対主義を意味する。(プリントp.17)歴史主義は単線的な進歩やメタ歴史的な普遍性を拒否し、歴史の多様性・個別性や非単線的な発展を主張する。こうした歴史主義の規定からすれば、歴史を、精神の自己展開として単線的に捉えたヘーゲルや、生産力と生産関係の矛盾を主要な機軸とした社会構成体の弁証法的発展と捉えたマルクスが歴史主義に属するかどうかは疑問があるが、ここでは授業の内容に沿って、ヘーゲルとマルクスの歴史観に的を絞って論述を進めたい。

 ヘーゲルによれば、世界史とは絶対精神へと至る精神の自己展開である。そして、「世界精神の理性的で必然的な過程」(プリントp.17)に寄与した民族を世界史的民族とし、その下に現れる国家を世界史的支配国家とする。ヘーゲルは、自らの属する時代(ゲルマン的支配国家)を自由の実現された、絶対精神の自己展開の完結した時代と捉えており、そこでは「世界精神が、自己意識や主観性の内部に現れる客観的真理と自由との宥和に達して」(プリントp.17)いる。ここには目的論的な歴史観が表出されている。

 次に、マルクスによれば、歴史において規定的な要因は現実生活における生産と再生産であり、こうした生産関係すなわち経済体制としての下部構造が、上部構造としての政治、法、道徳に関する意識を規定する。従って、経済体制の変化(例えばプロレタリアート革命)が道徳的価値基準など上部構造の形態の変化を誘引する。

 では、こうした歴史観の問題点とは何だろうか。歴史主義はその前提として「歴史が人間の在り方を全面的に規定する」という主張を為す。しかし、歴史を内在的な理性の外化し、自己実現をはかっていく過程として捉えたヘーゲルはこうした主張とは一線を画するように思える。さらに、歴史における下部構造が上部構造を「全面的・直接的」に決定するという主張はマルクス自身の見解というより、その後の俗物的マルクス主義の主張であろう。こうした歴史主義の見解については人間の在り様は歴史によってのみ規定されるものではない、という反論が上げられうる。「人間の本性」というものを否定し、人間の在り様を歴史や文化に対して相対的であるとする単純な相対主義は、我々の行為について指導的な基準を与えてくれはしないのである。ヘーゲルやマルクスの歴史観については、その目的論的な性格に対して反論が挙げられよう。歴史的目的論によれば、歴史は目的へ向けての連続的なひとつの進歩過程である。こうした目的論に対して、歴史が連続的なものであるとすれば、「歴史は意識にとっての特権的な隠れ家となる」(中山元著「フーコー入門」ちくま新書p.113)というフーコーの批判を想起すべきだろう。

 つぎに、進化論的倫理学について論述したい。ダーウィンによる道徳起源論の概略は以下の通りである。人間を含む社会的動物は、社会的本能によって仲間との交わりに対する愛好を持つ。従って、反社会的行動に対する不快感をもち、そうした不快感が他の成員との間で一致し、反社会的行動を退けることで個体と共同体との間に密接な関係が生じる。ダーウィンは、この社会的本能から欲求や利害関係を超えた「道徳感覚」や「良心」が発生すると論ずる。

 また、スペンサーは進化論的倫理学を構想したが、これは進化論にもともと含まれていない「進化」や「目的」の概念を導入しているため、その命名にも関わらず進化論と整合的ではない。(岩波哲学思想事典「進化論」)

いずれにせよ、道徳の問題を発生論的に説明することは、道徳の妥当性を問うこととは別のものである。発生的事実によって規範的妥当性を説明することはある種の「自然主義的誤謬」であろう。

以上の論述より明らかなことは、倫理学としての歴史主義やヘーゲル、マルクス、進化論的倫理学はアリストテレスの問いに対する答えとしては不十分であるということである。(1662字)

倫理学1


1. 倫理的相対主義とその問題点

 一般的に「相対主義」とは、唯一の絶対的かつ普遍的な真理の存在を否定し、真理の多元性ないし複数性を認め、それぞれの真理が互いに対し相対的であるとする主張である。従って、「倫理的相対主義」とは絶対的で普遍的な道徳的原理ないし基準の存在を否定し、道徳的基準が個人や集団、文化、社会、時代に対して相対的であるとする主張と解すことができる。

しかし、倫理的相対主義には以下の問題点が指摘しうる。まず、相対主義的主張を貫徹しようとするならば、相対主義の命題それ自身の真理性が相対化されるという、「自己例外化の誤謬」が挙げられる。また、社会的ないし文化的相対主義は、その前提として、個人の属す集団がそれ自体として同定されていなければならないが、こうした集団的アイデンティティの存在主張は「本質主義」ではないかという点も指摘しうる。さらに、道徳的価値基準が時代や社会や個人に対して相対的であり、多様であるということは事実だとしても、それは絶対的な唯一の道徳的基準の否定についての積極的な立証にはなり得ないという点も挙げられる。(454字)


2. 情緒主義とその問題点

 情緒主義の系列に属する哲学者としては次の三人の名が挙げられよう。ヒュームは、道徳的命題は真偽を語ることの出来るものではなく、感情や意志は理性とは別の次元に属し、道徳は感情に依存すると唱える。また、エイヤーは同様に、道徳的命題は真偽を確定することが出来ず分析不能であり、主体の感情表現や、態度・意志の表明、または他者の感情を喚起するという役割を持つのみの「擬似命題」であると主張する。スティーブンソンは、こうしたエイヤーの試みを更に追究する。彼によれば、倫理的価値命題は「記述的意味」と「情緒的意味」の双方を持つ。例えば、「これは善い」という主張は、「私はこれを是認する。君もそうせよ」という二つの部分に分析される。後者が「情緒的意味」であり、それは「擬似命令的機能」を持つ。つまり道徳的命題は、他人の態度の変更を意図した「道具主義」的なものなのである。

 こうした情緒主義に対しては、他人を自らの操作の対象(=手段)として扱い、究極目的としての人格という他者の在り様を抹消するものであるという批判が考えられよう。(454字)


3. 自然主義とその問題点

 自然主義とは、正義、善、義務などの道徳的概念が、経験的(自然的)事実によって定義可能である、ないしはそれに還元可能であるとみなす立場のことである。例えば、ある社会で広範に通用している道徳的基準を、普遍的な真の道徳的原理とみなす場合がこれにあたる。ある種の功利主義やプラグマティズムが古典的な自然主義として挙げられよう。

 自然主義に対する批判としては、ヒュームがその嚆矢である、ムーアによって定式化された「自然主義的誤謬」論が有力である。ムーアによれば、自然主義は事実命題から倫理的価値命題を導出するという、存在から当為への論理的飛躍を行っており、これは倫理的命題の性質からして誤謬である。倫理的概念は単純で分析不可能であり、定義不可能であって、直観のみがそれを把握しうるというのがムーアの立場であった。この立場からすれば、「快楽は善である」など経験的事実(=ここでは快楽)によって道徳的概念に定義づけを与える自然主義は誤謬である。(414字)


4. 形容詞〈良い〉(good)の論理的性質

 ギーチによれば、形容詞的用法において〈良い〉という言葉は「属性的形容詞」としての性質を担っている。これと対置される他の性質として「述語的形容詞」がある。これは例えば、①「これは〈茶色い〉机である」という文に表れる〈茶色い〉という形容詞である。この文は、②「これは茶色い」+③「これは机である」という二つの文の合成と等価であり、逆に言えば、文①は文②と文③に分解しうるのである。つまり「述語的形容詞」は主語に対して、被形容詞とともに同じ資格で述語化されうる。一方、「属性的形容詞」に対してはこうした操作が不可能である。「S氏は良い教師である」という文は、「S氏は教師である」+「S氏は良い」という二つの文の合成と等価ではない。属性的使用における〈良い〉という語は、具体的対象ないしその範疇がある「Fiat」(ラテン語、広義では事態が現実化することを要求・懇願することを示す)に対応しているという関係を表現し、両者を取り結ぶ紐帯の役割を果たすのである。(424字)


5. 行為の生起に関するデカルト的理解とその問題点

 デカルトの意志論においては、身体の行為は精神の意志作用によって生ずる。つまり、精神の意志作用が、精神と身体の二元的実体を架橋する器官である松果腺を通じて身体に作用し、その結果として行為としての身体運動が生ずるのである。従って人間の行為は自らの自由な意志によって生起する。ここに単なる機械とは異なった人間の最高の完全性が存ずるとデカルトは述べている。

 こうしたデカルトの意志・行為論を、ライルは「デカルトの神話」として批判している。デカルトの心身二元論では、身体は機械的物理法則に従う延長を持った空間的物質とされるのに対し、心は非空間的で機械論的物理法則にも従わないものとされる。こうした心の捉え方はあたかも「機械の中の幽霊」のようであり、こうした心身論はカテゴリー錯誤を犯している。さらに、我々の日常的行為には意志作用の働いていない行為が多数存在する。また、意志作用が行為の原因ならば、意志作用も何らかの原因の結果であると考えうるのであり、これは無限後退に陥る危険性を秘めている。こうした点もデカルトへの批判として挙げられる。(462字)


6. 基礎行為と行為の関係に関するアンスコムの説明

 アンスコムによれば、意図的行為とは「それについて我々が「観察に基づかない知識」を持ちうるもののうち、「なぜ」それを行ったかということをも観察によらずに知ることができる行為」(プリントp.13)である。こうした「意図的行為」の根底にはそれ以上遡及不可能な「基礎行為」が存在する。例えば、「部屋の明かりを点ける」という意図的行為についての遡及は、「スイッチを入れる」へと至り、さらにそれ以上他の記述に依存不可能な「指で押す」という身体の一部を直接動かす「基礎行為」へと収斂する。

 同一の指示対象を持つ行為については多様な記述が可能であり、基礎行為と行為の関係は「手段―目的関係」にある。還元すれば、他の行為は基礎行為を遡源とした意味的生成の関係の内にあるのである。例えば、オイディプスにおいて、「手を振り下ろす」という基礎行為から「杖で老人を殴る」、「老人を殺す」という意図的行為が、さらには「実父を殺す」という非意図的行為が生成する。こうしてより複雑な高次の行為はその根底に基礎行為を包蔵しているのである。(451字)


7. 意図と行為の関係に関するデイヴィッドソンの説明

 デイヴィッドソンは行為に関して、デカルト的な心身二元論を排し、物と心の非法則論的一元論という立場を採っている。彼は、行為記述に際しては必ずしも因果法則に従う必要はないとする。しかし、行為を記述しその理由を説明する際には、その理由が特定の行為の理由である為に因果了解を前提していなければならないと考える。従って、行為においては心的現象と物的現象を峻別できず、一元論的ではあるが、だからといって心的現象を物的現象に完全に還元できるわけではないのである。

 さらに彼は、意図の記述の多様性に基づいて、行為の原因を「主たる理由」として多数列挙している。「主たる理由」としては「欲求・欲望・衝動・道徳的見解・美的基準・経済的価値判断・社会的慣習・個人的ならびに公共的な目標や価値・一時的な出来心」などの行為に対する賛成的態度、さらに「行為に関連した信念」などが挙げられよう。

 例えば、大学の講義で挙手をする場合、「主たる理由」としては、発言をしたいという欲求、挙手が発言の意思表示を意味するという慣習、あるいは挙手せずに発言することはマナー違反であるという道徳的見解などの行為に対する賛成的態度、さらには、挙手が発言の意思表示を意味するということを知っているという信念などが挙げられよう。(536字)


8. ノモスとピュシスに関するソフィストの見解

 「ノモス」は「人為」ないしは「慣習・法」を意味し、対概念である「ピュシス」は「自然」を意味する。ソフィストたちは社会における正義・善・美などの絶対的価値基準は存在せず、ポリス間でそれらの支配的な基準が相互に異なるように、それぞれのポリスや個人に対して徳の基準は相対的であると主張する。その基準は自然によって基礎づけられたピュシス的(自然的、従って不変的)なものではなく、ノモス的(人為的、従って可変的)なものであると彼らは説く。こうした主張の端的な表明はプロタゴラスの「人間尺度命題」であろう。

 こうしたソフィストの見解に対し、ソクラテスは徳の価値基準は「ピュシス」によって定まっている絶対的なものであると主張した。しかし、ソフィストの中にもある種の絶対主義を採用した論者はいたのである。ソフィストのひとりであるトラシュマコスによれば、強者が自らの欲求を貫くことが真の正義であり「ピュシス」に適ったことである。上述の事柄を踏まえれば、ピュシス―ノモスの対立の下に、ソクラテス―ソフィストの対立を併置する一般的定説は事態の単純化であることが判るだろう。(474字)


9. 社会契約論

 社会契約論とは、政治社会の構成原理を個人間の相互契約に求め、政治権力の正当性を説明しようとする一連の理論の総称である。近代において社会契約論を切り拓いたのは、ホッブズ、ロック、ルソーの三人である。社会契約論を準備した背景的要因はデカルト以降の自律的な近代的自我を擁立する個人主義精神であった。それぞれの思想家は、「未開社会」の「発見」によって触発された思考モデルとして「自然状態」や「自然権」を想定し、そこからいかにして共同体が社会契約を通して形成されるかを問うことにより、近代市民国家の構成原理、さらには実定法の根拠を描き出そうとした。彼らが問うたのは自由・平等という価値を持った主体の確保の条件であり、政治の主体としての国民の描出であった。

 こうした社会契約論の思考法は、現代では、原初状態を通じて政治的正義の原理を基礎づけたロールズ、国家権力の限界を指弾し、夜警国家としての最小国家を説いたノージックなどに継承されている。(413字)


10.ミュンヒハウゼンのトリレンマ

 知識の絶対的な基礎づけを探求し、実現しようとする〈基礎づけ主義〉に対し、H・アルバートは「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」を提唱し、こうした知識の基礎付けの試みが不可能なアポリアであることを示した。

 アルバートによれば、知識の基礎付けの探求は以下に挙げる三つのアポリアの内どれかに撞着せざるを得ない。第一に、基礎づけを求めれば、その基礎をさらに基礎づけるものへ、その基礎をさらに基礎づけるものへ……という風に無限後退に陥らざるを得なくなる。第二に、他のものによって基礎づけられたものを基礎づけに使わざるを得なくなるという風に、基礎付けが循環的ないしは円環的な過程になってしまう。第三に、無限後退や循環を避けるため、それ自身は基礎づけられていないものに依拠することによって独断的に基礎づけを断行せざるを得なくなる。(岩波哲学・思想事典「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」参考)デカルトの神の存在論的証明や、ロックの経験論などはこの第三のケースに当たるだろう。(424字)

フランスにおけるニーチェ受容――フーコー


 フランス現代思想の潮流の中で、ニーチェの系譜学(genealogie)の着想を最も深層において享受し、ラディカルな方向へと推進した思想家として、ミッシェル・フーコー(19261984)を挙げることができる。今回の講義では、主に『ニーチェ・系譜学・歴史』という1971年の論文に着目しながら、まずこの論文がフーコーの思想展開においてしるしづけた折り目を読解し、次に論文内容の概説を試みたい。


ニーチェの系譜学

 19世紀末まで、「系譜学」は元々歴史の補助学として位置付けられていたが、ニーチェによって哲学の方法論的概念として独自に編み上げられ、新たな意義を付与される。系譜学の方法論の詳細は後にフーコーの論文を通じて触れることになるが、さしあたりここではその方法論の根幹を簡単に示しておきたい。ニーチェは『道徳の系譜』の序文でこう述べている。「われわれは道徳的諸価値の批判を必要とする。これら諸価値の価値そのものがまずもって問われねばならぬ。―――そのためには、これら価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきたもろもろの条件と事情についての知識が必要である。・・・そのような知識は、今までありもしなかったし、求められさえもしなかった。これら<諸価値>の価値は、所与のものとして、事実として、あらゆる疑問を超えたものとして受けとられてきた。また、<善人>を<悪人>よりも価値高いものと評価し、およそ人間なるもの(人間の未来をも含めて)にかかわる促進・効用・繁栄という点で善人を高く評価することについては、これまで露いささかも疑わず、惑いためらうことも見られなかった。ところで、どうだろう? もし、その逆が真理であるとしたら?」

 ニーチェは、従来の道徳的価値判断の査定を企てる予備段階として、従来の価値がいかなる条件や事情の下に案出されてきたのかを問う。こうした問いの背後にあるのは、道徳的善悪の永遠不変性の否定であり、善はその起源から一貫して善であったわけではないという不連続的な歴史観である。歴史は相拮抗する力の戦いの歴史として捉えられなければならない。道徳の起源にあるのは絶対的真理や何らかの実体や存在ではなく、様々な力の非均衡的な多様性であり、互いに血と戦慄を喚起しあう、支配や位階を求める力と力の衝突であり乱舞である。系譜学は、「典拠を挙げうる事実、現実に確証できる事柄、実際にあった事実」という実証的な素材を典拠として、これらの「人間の道徳的過去の永い判読の困難な象形文字の全体」としての「灰色のもの」についての冷徹な解釈を通じて、起源に関する形而上学を解体し、新たな視圏を切り開く試みである。



✡フーコーの考古学

 フーコーは『言葉と物』(1966)、『知の考古学』(1969)の二著作で、「考古学」(archeologie)という方法論を展開している。フーコーは自身多大な影響を受けたニーチェの系譜学と、G・カンギレムの「概念の歴史」という着想に影響され、独自の考古学的方法論を編み上げたといえる。

 では、「考古学」とはどのような方法論なのだろうか? 考古学は、「現在」を歴史分析の特権的な場とし、そこから俯瞰した理性の統一的で単線的で連続的な進歩を描き出すことはない。考古学が問うのは、ある時代の認識と理論そのものではなく、そうした認識や理論がどのような無意識的で領域横断的な秩序の空間から出発しているのか、ある時代の知がどのような潜在的な構造に根を下ろし、その場を自らの「可能性の条件」としているのか、という問題である。フーコーはこうした構造を、ギリシア語で「知」を意味する<エピステーメー>と名付ける。ある時代の書物や発言は、それらが異なる分野のものであろうと、共約可能で歴史規定的な固有の根本的基盤、すなわち<エピステーメー>を有している。


✡『言葉と物』のラフ・スケッチ

16世紀以降の西欧近代(広義の近代)に焦点を絞るならば、そこには互いに断絶した三つの<エピステーメー>を見出すことができる。フーコーはニーチェが発掘したように、歴史の中に潜む不連続性を洞察する。ある時代の中にいる者は、その固有の<エピステーメー>によって規定された思考の存在様態を持ち、他の時代の<エピステーメー>からは断絶されている。こうした断層を、継起した時代順に見てみると、16世紀から17世紀半ばまでの「中世とルネッサンスの時代」、19世紀初頭までの「古典主義時代」、それに続く「近代」(狭義の近代)という三つの局面が見出される。

 ここで『言葉と物』の展開を要約することにより、<エピステーメー>の具体的な様相を素描してみよう。

  第一の「中世とルネッサンスの時代」の特徴は<類似>という概念にある。この時代においては人間と物、物と物の関係は、すべて類似関係というまなざしによって秩序立てられ、理解される。すべての物は類似関係によって織りなされ、世界の中で位置を占める。類似関係は外部に見えるしるし(外徴)によって読みとられる。こうして、世界は類似の鎖を読みとってゆくための開かれた巨大な書物となる。物=言葉であり、言葉=物なのである。解釈学と記号学によって解読すべき書物である世界は、無限に類似の連鎖を続けてゆくことができるという点では過剰ではあるが、それが想像力に基づいた単なる解釈に過ぎないという点では貧困である。

 第二の「古典主義時代」では、もはや「類似性」は知を築くための有効な手段とはなりえず、むしろ錯誤と狂気のしるしとなる。それに替わって、この時代には「同一性と差異性」という概念が知を導くこととなる。事物の認識は、推論による同一性と差異性の秩序付けに従って展開する「(タブロー)」の構成へと転位する。この秩序づけは「マテシス」(代数学の明証性と演繹性をモデルとした諸学の統一化、普遍化の企て。デカルトやライプニッツを念頭に置いた言葉)と「タクシノミア」(分類学。リンネなどの博物学に代表されるような、万物の普遍的分類および命名による記号(シーニュ)の体系の企て)によって実現される。単純な自然を秩序づけることが問題であるときには、人は「マテシス」に訴え、より複雑な自然(経験的な表象一般)を秩序づけることが問題であるときには、人は「タクシノミア」に訴える。古典主義時代において「一般文法」(記号(シーニュ)についての学)、「博物学」(自然の連続性と錯綜状態を分節化する特徴(カラクテール)の学)、「富の分析」(交換を可能にし、様々な必要や欲望の間に等価関係を設定せしめる記号(シーニュ)についての学)が可能だったのも、こうした特有の<エピステーメー>を共有していたためである。

第三の「近代」において、古典主義時代を秩序づける様式であった(タブロー)の構想は解体し、知は新たな空間に宿る。古典主義時代では、知の統合点は物の表象空間を代表的に写し取り、秩序づける「表象の表象」としての「言説」であった。近代に至り、初めて「人間」が知の統合点として浮上してくる。もはや、近代の表象は物の秩序の正しい表現ではなくなり、秩序認識の主体である人間への問いが初めて前景化する。認識の主体であると同時に客体であるところの「人間」というカント的な概念は、実は近代の発明に過ぎない。近代の知は二つの道を歩む。ひとつは表象の手前、認識主体の中に新たな秩序を探求する、カントの批判哲学という道である。もうひとつは表象の向こう側に再度、物の秩序を探し直す道、これは「生物学」、「言語学」、「経済学」の誕生をもって開始される。これらの学問によって発見されたのが、生命、言語、労働の実定性としての人間の有限性、生き、話し、働く経験的=超越論的な人間という概念である。

こうした近代の<エピステーメー>の中で、一連の「人文諸科学」(心理学、社会学、文化学など)が登場する。これらは生物学、言語学、経済学の傍らに寄り添っている限りで存在できるものに過ぎず、実証性を持つが、科学性を持たない。

しかしながら、誕生した「人間」は短命であった。人間への問いをその核心に据えた近代という時代は、終焉を迎えつつあるとフーコーは診断を下す。フーコーは三つの学問において人間の終焉が宣言されていると考えている。フロイト・ラカンの精神分析、レヴィ=ストロースの文化人類学、そしてソシュールの構造主義的言語学である。これらは無意識、歴史、言語において知の可能性の条件を示している。これらは人間の外部の限界をなすもの、人間の実証性を醸成するものを問いながら遡ってゆく。簡単に言えばそれは、「人間が認識されることを可能にしているまさにそのものを『さらけ出す』ことによって危険にさらす」のである。近代の<エピステーメー>が崩壊したときには、新しい発明である「人間」は、「波打ち際の砂の上に描いた顔のように、消滅するであろう」。




✡考古学から系譜学へ

 『言葉と物』に続く『知の考古学』では、考古学についての理論的考察の深化が目論まれている。ここではその内容に触れることはしないが、この『知の考古学』執筆中の1968年、フーコーは五月革命を異邦の地で経験する。フーコーはこの時、パリにはおらず、チュニジアの首都チュニスの大学で教鞭を執っていた。フーコーと政治的実践との関連で着目すべき点は多いが、ここで注目したいのはフーコーが目の当たりにし感銘を覚えたある政治的経験である。チュニジアの学生運動に立ち会っていたフーコーは、フランス本国ではもはや政治的に革新的な意味を喪失していたマルクス主義が、チュニジアでは人々の運動を支える基盤となり、政治的行動の信念を形成しているという事態に出逢った。フーコーは後の対話で、フランスではマルクス主義が生気を失いアカデミズムに堕していたことに言及しながら、こう述懐している。


・・・チュニジアでは逆に、誰もが印象的なほどの輝きと、激しさと急進的な強さをもって、マルクス主義を主張していました。若者たちにとっては、マルクス主義は、単に現実を分析するためのよき手段ではなく、同時に一種の倫理的なエネルギー、まったく瞠目すべき実存的な行為だったのです。・・・私にとってのチュニジアの意味は、政治的な討論に加わることを迫られたということです。きっかけは、フランスの1968年5月ではなく、第三世界の国での1968年3月のことでした。


 フーコーは『言葉と物』の中で、「マルクス主義は19世紀の思考において水のなかの魚のようなものであって、それ以外のどこででも呼吸するわけにはいかなかったろう」と述べていたが、この窒息し生命力を喪失したはずの思想が、何故これほど人々の行動を突き動かす原動力となりうるのか、このことにフーコーは驚嘆する。

 この体験はそれまでのフーコーの考古学という方法論に新たな視点の導入を要請するだろう。ある思想がエピステーメーの布置において確保していた思想的な価値を失い、生命を枯死させていたとしても、その思想を真理として意志し、真理として行動する人々にとっては、生命力の枯渇した思想も別の生命を帯びるようになる。ある思想がエピステーメーの中で占めている位置によって真理を裁断するのではなく、誰がその思想を信じ行動するかという視点からその主体を分析する方がより重要性をもつのではないか。<真理が真理として成立する条件>への問いから、<真理を語る主体>という問いへ、重心が推移してゆくのである。こうした問いがフーコーを、思想を真理として信じる主体の分析へ、そしてそれを通じた真理の分析へと移行させる。実はこれは、ニーチェの系譜学の観点そのものであった。

 このような問いの変奏は、方法論そのものの組換えを促さずにはおかないだろう。『ニーチェ・系譜学・歴史』という論文が書かれたのはこの時期であり、そこにおいてフーコーは、ニーチェの系譜学を再考し、自らの方法論として作り替えたのである。この論文はそれまでの考古学的歴史観の総括的表明であると同時に、新たな問いに貫かれた方法論の系譜学的深化を果たす綱領的地位を占めるものである。


✡フーコーの系譜学

 では、フーコーがニーチェの系譜学から切り拓いた方法論的視野、そして真理の理論とはどのようなものなのだろうか? 『ニーチェ・系譜学・歴史』の読解を試みることにより、その問題を炙り出してみよう。


 フーコーは系譜学の作業を次のように述べる。「単一な究極指向性のまったく外に、様々な出来事の独自性を見定めること、それらの出来事を、最も予期しないところ、歴史などもたないということになっているもの・・・の中に探ること、それらの出来事の回帰を、進化のゆっくりした曲線を跡づけるためにではなく、それらが多様な役割を演じた多様な場面を再発見するために把握すること・・・」。こうした系譜学の意味を明確にするために、フーコーは「起源」(Ursprung)と「由来」(Herkunft)を対照する。起源を問うことは、物の本質や純粋な可能性、絶対的真理を模索することであり、形而上学的な方法を採用することである。系譜学はそれとは逆に、それらの本質や真理がどのような歴史的な経緯にしたがって形成されてきたのかを分析する。真理という概念はこの歴史性を隠蔽し、物の本質であるかのように擬装する。

 系譜学はこの真理の欺瞞性を暴露する。真理とは絶対的なものではなく、様々な力関係の競合と対立、階級闘争と支配の帰結である。「人間が他の人間を支配する、するとそこから諸価値の区別が生まれてくる。階級が他の階級を支配する、するとそこから諸価値の区別が生まれてくる」。

 真理は中性的で無害なものではなく、暴力的なものである。真理は「論駁されえないという特徴をもつ一種の誤謬」であり、闘争や支配のための武器であり、様々な力が湧き上がり抗争する力動的な舞台である。系譜学はこうして伝統的な真理という概念を解体するのである。

 系譜学は歴史の形而上学的な見方の源泉とも言うべき「起源」に対して「由来」を対置する。由来においては「微妙で、独特な、個の下に隠れている様々な痕跡、個の中で交錯しあい、解きほぐしがたい網目を作っていることもありうる痕跡をすべて見定めること」が問題であり、従って、「由来の複雑な糸のつながりを辿ることは、起こったことをそれに固有の散乱状態のうちに保つことである」。由来の探求は、ものの根源に真理や存在を見定めるのではなく、「偶発事の外在性」を発見する。さらに、系譜学は起源にあるとされるものの同一性や一貫性をも批判する。系譜学は我々自身の系譜学でもあり、形而上学が想定する自己同一性を崩壊させる。「由来の分析は自我を解体させ、その空虚な総合のあとに今は失われた無数の出来事をはびこらせることを赦すのである」。

以前に述べたように、系譜学は歴史の連続性を否定し、逆に歴史を貫くあらゆる不連続性を曝けだす。また、系譜学は歴史の目的論とも対立するものである。由来の探求は、不動だと信じられてきたあらゆるものを、偶然的な生成の中にふたたび導入するのである。

 また、由来は肉体と結び付いている。肉体は「様々な出来事の刻み込まれる平面」であり、「自我の解体の場」である。肉体は歴史性と無縁ではなく、「その生と死のうちに、その力と弱さのうちに、あらゆる真理とあらゆる誤謬の報いを保持している」のであり、「由来の分析としての系譜学は、肉体と歴史の結節点にある」のである。我々は、肉体は純粋に生理学的な法則性によってのみ規定されており、歴史の規定性を逃れるものと思いがちである。しかし、実際には「肉体は一連の規則の中にとらえられており、それによって形成される」。ここには後にフーコーが『監獄の誕生』によって展開する<身体論的な主体>の問題圏への萌芽が看取されうるだろう。

 系譜学は、常に歴史的な視点に固執することによって、超歴史的な観点を導入するすべての試みを拒絶する。それらの試みは「時間の外に支点をこしらえ」ることにより、「歴史自身の背後にあるものに世界の終わりの視線を投げかけ」、歴史の外部に永遠の真理、不死の魂、自己との同一性を維持する意識を想定するものである。

系譜学はこれを排除するために、パースペクティブ主義を採用する。これは、いかなる客観的認識をも否定し、自らがある展望に立っていることを認めるものである。真理は常にそれを語るものの視点からみられなければならず、系譜学者は自分の視点が位置している場所に対して自覚的でなければならない。真理は常に、知への意志によって貫かれているからである。


✡終わりに

 こうした真理の理論において、ニーチェは「真理とは何か?」という形而上学的な問いを否定し、「真理を語るのは誰か?」という政治的な問いへと問いそのものを転換させた。フーコーがこのニーチェ論から抽出したのは、人々を突き動かす駆動力としての「真理」は、考古学とは異なった分析を必要とするということである。考古学は、正しい命題の科学的な真理性は、エピステーメーによって、すなわち歴史的なア・プリオリによって決定されることを明らかにした。しかし、現実の社会において「真理」を意志する主体の内的メカニズムを解明しない限り、時代遅れとみなされていた思想が、なぜ生命力をもち人々を行動へと駆り立てうるのかを分析することはできないのである。従って、そのような問いには、社会における様々な主体間の権力関係、そして、社会においてそうした主体が形成されるプロセスの解明が不可欠となる。

 ニーチェ論によって得られた系譜学が、考古学とともにフーコーの以後の分析における方法論として駆使されることになる。フーコーは自己を変化させていくことを思考の方法としていたかのような哲学者であり、他にも幾つもの転換点を見出すことができるが、ここまで示してきた転換点の向こうに、以後の著作によって展開される「権力の主体」、「性の主体」、「実存の美学」といった問題圏が位置付けられよう。

理性の自己言及的不可避性


1. 主観-客観の二極性


 主観的な観点と客観的な観点をめぐる対立は、哲学上の多彩な問題領域を貫く問題編成として繰り返し登場する。倫理学的・認識論的・形而上学的といった様々な主題群の多くにおいて、何らかの形でこの主-客の対立が見出されるのであり、したがってこの問題に対して一般的な形式を与え、何らかの仕方でこの対立を調停する視座を見出すならば、そこから個々の主題を解きほぐす突破口が開けるはずである。トマス・ネーゲルはこうした見通しのもとに、首尾一貫した粘り強い思索を続けている1

 主観性と客観性という区別は確固とした二項対立的なものではなく、二極的かつ相対的なものであるということに、ネーゲルは注意を促している2。一方の主観性の極としての特定の個人的観点から出発し、客観性の増大へと向かう方向は、共同体に内在的な観点、一般的な人間的観点、物理科学的な観点へと進み、他方の客観性の極である「可能な限り世界内のどこからの眺めでもないような世界の捉え方(=The view from nowhere)」3に達する。主観性と客観性の対立はこうしたスペクトル上のいずれの二点間においても起こりうるのである。客観主義者は主観的なアスペクトを還元・排除・併合といった戦略によって客観的な記述により宰領しようと欲し、主観主義者は内的なパースペクティヴからの還元不可能性・脱出不可能性を主張することによって客観主義に抵抗する。

 ネーゲルは主‐客の問題への準備的なスケッチにおいて、こうした対立状況に対し、他方を排除ないし包括しようとする極端な主観主義と客観主義のいずれにも与することなく、次のような診断を下す。「唯一のとりうる道は、飽くことなき客観性への要求に抵抗し、次のように考えるのをやめる道、すなわち、世界とその中でのわれわれの立場の理解が前進してゆくのは、その立場から脱することによってであり、その立場から見えるもののすべてを単一のより包括的な概念構成の下へ包摂することによってである、と考えるのをやめる道である」4。どのような主観的なものもそれが議論の対象となる限り「公共的・間主観的に接近可能」5であり、どのような客観的なものも「本質的に部分的でしかありえない」6のであるから、主観的観点と客観的観点をどちらか一方へと包摂することは不可能なのであり、単一の観点からすべてを記述可能な単一の世界は存在しないのである。したがってネーゲルは、主観の側へと客観性を回収してゆく観念論も、主観性を包摂ないしは消去してゆく客観主義的対立物(例えば行動主義的心理学や心の哲学における消去主義)も同時に批判するのである。

このようにネーゲルは主-客の二極性における対立する諸観点の共存、つまりは世界の多次元性を受容しつつ、可能な調停へ向けて考察を押し進めるのである。世界の多次元性の承認というネーゲルのこの基本的立場を念頭に置きつつ、以下では “The Last Word” における主観性と客観性の問題へと考察を進めよう。



2.理性の回避不可能性


 “The Last Word” の第二章 ‘Thought from the Outside’ において、ネーゲルは主観主義的・相対主義的な戦略に対して、理性の自己言及的な回避不可能性を軸に、理性の普遍性を擁護する議論を展開する。

 われわれの「心」あるいは「思考」を外的な観点から説明する方途として、心的現象を外的刺激とそれに対する反応行動の関数として捉える行動主義的心理学、心脳同一説を標榜しつつ、心的現象に関する報告文(「私は奥歯が痛い」)を脳機能に関する言明(「大脳のC神経繊維が発火している」)によって排除しようとする消去主義、科学的信念などを文化的・社会的に構築された偶然的なものと見なす構築主義などが挙げられる。

 このうち行動主義的心理学に関しては、われわれが受容する「感覚」なるものはモザイク的な「刺激」からなるのではなく、要素的な刺激の総和には還元しえない構造化された「ゲシュタルト」からなるのであり、「状況」や「出来事」といった遠位的な関わりこそがわれわれの行動を条件づけるのだという批判が提起されよう。こうした批判によれば、われわれの心的過程は刺激-反応系における行動の言明には還元しえず、身体を環境から切り離した上で、刺激を体表における神経入力へと切り詰める行動主義は、近位主義的かつ要素主義的な誤謬を犯しているということになる。

主観主義的な心理学的説明による心的なものの還元に対するネーゲル自身の批判は、理性的能力の普遍性への要求に依拠したものである。ネーゲルは心理学的説明がある種の自己認識の仕方として一定の有効性を持つことを認める。しかし、この心理学的な外的説明が「無限定的かつ普遍的な妥当性を有する理性的推論に基礎づけられていると思われるわれわれ固有の判断領域」7にまで拡張されるならば、それはある限界に突き当たらざるをえない。例えば、構築主義的な外的説明によってわれわれの論理、数学、推論の各能力が歴史的に偶然的であり、文化的に局所的であるような慣習の所産とみなされる場合を仮定しよう。その場合、こうした主観主義的主張は意図としては客観的であろうとするのに対し、主張の内容それ自体が理性的能力の客観的妥当性を掘り崩すものであるため、その主張は自身の客観性を擁護する基盤を失うことになる。

一般に、相対主義的な主張は自己論駁的である。「われわれは理性の要求に対する批判を定式化し擁護するために他のいくつかの点で理性を用いることなしに、そうした批判を行うことはできない」8。主観主義的な主張を行うためには、普遍的妥当性を有すると目される理性的能力を採用しなければならないのであり、理性を批判するためには当の理性をもちいなければならないのである。したがって「主観性の概念はつねに客観的な枠組みを要求する」9のである。どのような主張を行うに際しても、理性はつねに前提として働き出しているのであり、こうした理性の外部に抜け出て理性を批判することは不可能なのである。ネーゲルの主観主義的な主張の占有に対する批判の要諦は、こうした理性の自己言及的な回避不可能性に存すると言えよう。

3.世界の多次元性


 ネーゲルは自身のこうした理性の捉え方が、デカルトのそれと非常に近しいものであると述べる10。ネーゲルは、方法的懐疑によって導出されたコギトの明証性は最も重要な哲学的論点ではなく、「むしろ論点は、われわれがその外側に出ることができない思考があるということをデカルトが明らかにしたこと」11にあると指摘する。そうしたタイプの思考は、われわれがそれを持つことを避けえないものであり、外側から考察することが端的に不可能なものである。そうした思考こそがわれわれの客観性の枠組みを構成するのであり、それには少なくとも論理や数学に関する基本的な理性的諸能力が含まれており、実践的推論や美的判断に関する能力も含まれているかもしれない。

したがって、一度こうした回避不可能な思考が見出されるならば、例えば論理学を人類学によって置き換えたり、数学を社会学や生物学によって置き換えたりといった相対主義的な還元主義の試みは限界をもたざるをえないことになる。論理学の客観的妥当性は論理学の内部における第一階の理性的推論の使用によってのみ争うことができるのであり、論理学に対する外的でメタ的な観点からの完全な還元は不可能なのである。ネーゲルはこうした学問内部における第一階の理性的使用の優先性を他の諸学問にも認めており、その限りでは先に言及した世界の多次元性をここでも承認するかたちになっている。

 しかしながら、われわれの客観的な枠組みを構成する回避不可能な思考を認めることと、各学問領域における固有な方法論なり思考様式なりの第一階の適用の優先性を認めることの間には、なお論理的な飛躍が存在するように思われる。ネーゲルが指摘するように、普遍妥当性をもつ思考のカテゴリーに論理的・数学的・実践的な推論が含まれることを認めるとしても、それが含意するのは論理学・数学・倫理学(あるいは数学を用いる自然科学の一部)の還元不可能性であり、他の諸学問――例えば歴史学・人類学・心理学――の還元不可能性はそこには含意されていないのではないか。それを確証するためには、それぞれの学問における基礎的な思考様式を分析し、それがわれわれの客観的な理性のカテゴリーに含まれることが示されなければならないだろう。ネーゲルは理性の内容に関して、それが非常に豊かなものである可能性を指摘する一方で、それが論理その他の限定的な諸原理に留まる可能性も認めている12。いずれにせよ、その内容は将来の科学哲学的精査に委ねられねばならない。

本節の最後に、推論能力に関する簡単な指摘をしておきたい。現在推論の種類として一般に認められているのは演繹的推論、帰納的推論、さらにはパースの手からなるアブダクションの三つである。演繹的推論は論理的な含意関係によって形式的に運用されるが、帰納的推論は狭義の論理によっては導出しえず、統計的手法の導入を必要とする。さらにアブダクションにおいては、想像力の使用を伴う仮説の導入が必要とされるのであり、論理学的な知見のみでは処理しきれない。詳細は省かざるをえないが、私は後者二つの推論形式はわれわれの「レトリカルな」認知能力の導入を必要とすると考えている。それらの認知能力についての探査は、ネーゲルも望むように理性的推論の豊かさを発掘する一助となるだろう。



4.結語


 ネーゲルはデカルト的方法によって理性的推論の回避不可能性を見出し、それを軸としながら各学問間の還元不可能性を論証し、普遍主義的な立場を擁護する議論を展開した。なお理性の内実が留保されたままであるとはいえ、ネーゲルが論証したような形における理性使用の普遍妥当性は魅力的なものに映る。しかしながら、本論では論及しえなかったクワインとの関係や、ネーゲルの鍵概念である「収斂 convergence 」の分析など、残された課題は多い。デカルト的な基礎づけ主義とクワイン的なホーリズムが、ネーゲルが述べているように表面的な対立に収まるものなのか13、そして科学の通常の営みが果たしてデカルト主義的なものなのか。また、「収斂」という概念はどのようにして「合意」を超えた普遍妥当性へと到達できるのか。

知的平衡感覚を保つことが困難な今日において、直観を手放さず独力で思考を紡ぎ出すその誠実さには範を仰ぐべきものが多い。その不可能性を刻印されるまで、哲学が絶対の探求であり続けるべきならば、ネーゲルはそうした哲学の希有な具体であるだろう。





(1).『コウモリであるとはどのようなことか』、ネーゲル著、永井均訳、草書房、1989p.306

(2).同上、pp.320321

(3).同上、p.320

(4).同上、p.327

(5).同上、p321

(6).同上、p.328

(7)Nagel 2001,p13

(8)Ibid.,p15

(9)Ibid.,p16

(10)Ibid.,p18

(11)Ibid.,p19

(12)Ibid.,p17

(13)Ibid.,p22

「目的自体」とはどのような概念であるか

 『道徳形而上学の基礎づけ』において、「いかに行為すべきか」という倫理的問いに対する基準としてカントが見出したのは、われわれの行為が絶対的・無条件的な良さを満たすためには、その行為が「定言命法」という形式において命じられていなければならない、というものだった。われわれの行為が「仮言命法」によって命じられているならば、その行為は経験的な原理に基づくことになり、その限りにおいて相対的な価値しか持ちえない。定言命法に基づく行為のみが、ア・プリオリな普遍的妥当性を満たしうる。そこで、カントは次のような「普遍的法則の定式」を打ち立てたのである。すなわち、それは「汝の格率が普遍的法則となることを、汝が同時にその格率によって意志しうる場合にのみ、その格率に従って行為せよ」という定式である。

 しかし、上記の定式はわれわれの行為の格率が満たすべき形式的な条件についてのみ規定した原理であって、格率の実質的目的についてはコミットしていない。たとえ形式的に普遍化可能な格率であっても、それによって行為の倫理的な実質的妥当性が必ずしも保証されるわけではない。したがって、われわれの行為には、さらなる道徳的基準が要請されることになる。

 ところで、われわれの行為は常に何らかの目的を志向している。カントは、目的設定の根拠の差異によって行為の諸目的の間に二つの区別を導入している。一方は欲求などの傾向性に基づいた主観的目的であり、他方は理性的存在者すべてに妥当する意志作用に基づいた客観的目的である。主観的目的に価値を与えるのは、それ自体相対的な価値しか持たない傾向性であるため、この目的も相対的価値しか持ちえず、仮言命法の根拠となるにすぎない。

 では、もう一方の客観的目的とはいかなる価値に基づいたものなのだろうか? カントによれば、この客観的目的こそが絶対的な価値を持ち、それゆえに定言命法の根拠となるものなのである。それは目的自体としての理性的存在者一般であり、その人間性、その人格である。他のあらゆるものは欲求の対象に過ぎず、それゆえ相対的な価値を持つにすぎないのに対し、人間性および人格は絶対的な価値の担い手であり、道徳法則に実質的な根拠を付与するものなのである。ここにおいて、カントは「目的自体の定式」を打ち立てる。すなわち、「汝の人格の中にも他の全ての人の人格の中にもある人間性を、汝がいつも同時に目的として用い、決して単に手段としてのみ用いない、という風に行為せよ」。

 しかし何故、人格はそれ自体として絶対的な価値を有しているとされるのだろうか? カントによれば、人格が絶対的な価値を有するのは、その理性能力の故であり、その自由な選択意志の故である。カントの自然観は基本的にはニュートン的な機械論的自然観であり、その限り自然の事物は自然法則によって受動的に規定されている。これに対して、理性的存在者は自らの意志によって行為を規定することができ、自由な目的設定の主体として能動的に振舞うことが出来る。この点から、カントは理性的存在者を人格、自然の事物を物件として、鋭く峻別するのである。ただし、われわれの行為は常に能動的であるというわけではない。われわれの行為が欲求などの感性的衝動に従ってなされるならば、それは他律的であり、倫理的妥当性を有しない。われわれの行為が意志による自己立法に従ってなされる場合のみ、それは自律的であり、倫理的な行為となりうるのである。

 われわれが自身や他者の人格をたんなる手段としてのみ扱うならば、それは人格の自由な選択意志の主体としての地位を貶めることになり、人格の否定、物件化につながる。人格を手段として扱うことがわれわれの日常的実践において不可避であるとしても、それは同時に目的として承認されなければならないのである。

 以上の論述で見てきたように、ソクラテス以来の「それ自体として良いものとは何か」という問いに対して、カントは目的自体としての人格をもって答えたのである。この人格こそが絶対的・無条件的な価値を有し、道徳法則と共に尊敬の対象とされるべきものなのであり、全ての理性的存在者にとっての目的として、定言命法に実質的な根拠を与えるものなのである。

科学技術と合理性


 前世紀を振り返ってみると、政治・経済・文化のあらゆる領域に渡って、科学技術の展開がそれらの在り方を大きく変容させ、規定し続けてきたと言える。世紀の前半に行なわれた二度の世界大戦は高度な軍事技術に基づく大量殺傷兵器の使用によって、それまでにない大規模な惨禍をもたらしたし、戦後国際政治の構造と動向は核兵器という未曾有の技術的産物によって根本的に条件付けられた。また、アメリカ型の文明社会が他の諸国に波及し、そのヘゲモニーを拡大し続けることが出来たのも、通信技術から重化学工業、電子産業、遺伝子工学、宇宙開発に至る様々な分野で急速な技術革新を推進し、経済発展を成し遂げたからである。こうした科学技術の革新は様々な家庭用の機械製品として導入され、我々の生活世界の様相を一変させた。近年では、情報技術や医療技術の高度化により、新たな倫理的問題領域も形成されてきている。インターネットの一般化や電子空間上におけるデータベースの構築は、権力形態の変容をもたらし、「超パノプティコン」(マーク・ポスター)と呼ぶべき事態を引き起こしているし、延命治療や遺伝子治療は、我々の生死の意味さえも変化させている。さらには地球規模での環境破壊やエネルギー資源の枯渇、人口の爆発的増加といった人類の生存条件に関する問題も、フォーディズムに始まる大量生産・大量消費・大量廃棄の構造など、工業化し大規模化する技術の在り方に深く根差している。いまや我々の生活世界は技術によってその体制化のひとつの次元を成し遂げているといっても過言ではないだろう。それと同時に、様々な局面において看取される生活世界の「危機」も同じ技術によってもたらされていることも否定し得ない。こうした現在、技術批判の探求は火急の事であろう。

 しかしながら、技術哲学・技術倫理の現状に対しては未だしの感が否めない。本稿では、技術の存在性格を巡る問題を考察し、技術批判の可能性について論じてゆきたい。



技術の道具説と技術決定論

 技術論の中心課題は「技術とは何か?」という問いの解明である。この課題を巡って、しばしば提出される典型的な説に「技術の道具説」と「技術決定論」の二つがある。これらはそれぞれ技術に関する目的-手段という二項的な構図を前提とし、技術をそれらの一方へと位置付けることによって成立する。ところが、技術の在り方はそのような二項対立的な地平には収まらない根本的に「両義的な」存在性格を有している(1)。ここではまず「道具説」と「決定論」の両者を検討してゆくことにする。

 技術を一定の目的を実現するための手段の次元に属するものだとする見方は、アリストテレスから現在の社会政策におけるシステムの効率的運用設計に至る様々な理論と実践の中心的な前提をかたちづくっている。こうした見方では、技術は特定の目的を実現するための道具のような事柄であるとされてきた。これを「技術の道具説」と呼ぶ。

 道具説では、技術は様々な目的とは独立に規定しうる手段の領域に属する事柄であるとされ、その帰結として、それが実現する目的の価値内容にはコミットしないという技術の「価値中立説」が導かれることになる。

 例えば、人を殺傷するためにはナイフを用いることも拳銃を用いることも出来るが、それらのどちらがより「優れているか」という問いは、その目的が受ける価値評価とは独立の問題である。また、ナイフは殺人にもリンゴの皮剥きにも使用することができるが、この場合も、技術自身が受ける評価はその使用目的の持つ価値評価とは独立である。このように、技術はその目的とは独立であり、目的価値に対して中立的な手段の領域に属するように見える。道具説は、技術を制御可能なものとみなし、技術の在り方を人間や社会の在り方に適応させようという方向を強調することによって、技術は人間が使用しやすい「合理的な」ものであるべきだとする。道具説においては、「合理性」が技術の価値を審判するのである。

 しかしながら、産業革命以降の歴史はこうした楽観的な技術観を覆すような大規模な技術システムを構築してきた。二度の世界大戦の後、例えばエリュールは「技術は人間生活を支配し、秩序と効率という名のもとに自然の生活と人間の自由を犠牲にしてきた」(2)と指摘している。人間が技術を支配するのではなく、技術が人間と社会を支配するというこうした主張は「技術決定論」と呼ばれる。この説においては、人間の必要性や目的が考慮されないままに、技術はただそれ自身のために追求されると主張される。いまや技術の目的は技術それ自身が決定する。技術は手段の領域から解放され、自律化し、それ自身の論理に従って行為の「合理的」な在り方を規定し、社会をこの「合理性」や「効率性」の下に隷属させながら展開するのである。

 これらの「道具説」と「決定論」は一見したところ、相対立するものに思える。一方は技術を、我々が自由に制御し、使用することの可能なものと見なし、他方は我々の制御をまったく受け付けない自律的なものと見なす。しかしながら、どちらも既存の技術を前提とし、それを物象化して捉えているという点では共通している。こうした前提が多くの技術論において、議論の在り方に一定の制約を課しているのである。こうした物象化を退けるために、まずは技術が出来上がってくるまでの「生成の論理」が問われねばならない。



技術の両義性

 「道具説」では、技術は様々な目的とは独立な手段の領域に属するとされ、目的の次元は人間や社会が自由に決定すべき事柄とされる。それ故、人間と社会が技術の在り方をも決定するのである。それに対して、「決定論」では、目的の次元は技術によって占有され、目的-手段連関そのものが技術の支配的領分となる。社会の在り方は技術によって決定され、社会は技術に下属する。この決定論的な見方がさらに先鋭化されれば、社会が技術を手段化するのではなく、技術的システムがその目的を遂げるために社会を手段化するという説も導かれるだろう。「道具説」を転倒した果てに「決定論」が浮上するのである。

 しかしながら、両者は共に既に出来上がった技術の在り方を前提とし、それを目的-手段という図式の一方に物象化して割り振っているという点では共通している。既存の技術の在り方に焦点を当てている限り、目的-手段は相互に独立のものであるように思える。しかし、技術の生成の過程への遡行的な問いは、目的-手段の根源的な連関を明るみに出すのである。

 まず、目的が手段を規定するという関係様態は比較的見易いだろう。例えば、自動車の排気ガスに含まれる有毒成分を減少させるメカニズムの開発が行なわれたのは、排気ガスの過剰産出による大気汚染が問題化し、排気ガス規制の必要性が生じたからである。また、その逆の関係様態も指摘しうる。ここではこちらの関係様態の方がより重要である。例えば、電話の発明によって遠隔地間の対話の可能性が生まれ、海外の人と通話するという目的が実現可能性を持ったものとして初めて創出される。技術的手段の新たな創出は、実現しうる目的の可能性それ自体を産出し、我々の価値評価の基準を変換する。こうした意味で、技術は新たな行為の実現可能性を創出し、個々の行為ばかりではなく行為の全体的連関をも変換することにより、「社会の体制化」の在り方に深く関係する。

 このように、技術の生成の過程においては、目的と手段は密接不可分な連関をなしているのである。新たな技術革新は社会全体の体制化の在り方を変換し、この体制化の様態に応じて目的-手段の区別は切開してくるのである。技術は目的-手段という図式のどちらかにあるのではなく、むしろそれらの区別が胚胎してくるその培養地をなすと言えるだろう。技術は目的と手段の「間」にありながら、その「間」そのものを形成するのである(3)。以上のような意味で、技術は根本的に「両義的」な存在性格を有するのである。


技術と合理性

 「決定論」的主張では、機械が体現する「効率性」や「合理性」が技術を貫徹する本質的論理であると見なされることが多い。技術が行為の合理的在り方を規定するのである。一方、「道具説」では、技術的な人工物は可能な限り使いやすく、その意味で人間的なものになることを志向される。「合理性」はその道具的・人間的意味において解釈されるのである。こうしてみると、「合理性」を巡っても両者は一見対立しているように見える。しかし、「道具説」における「合理性」は、その道具的・人間的意味を介してむしろ「決定論」的主張と通底しているのではないだろうか。

 R・グレゴリ-によれば、技術的な人工物は人間の知的な営みの産物であるだけではなく、知的活動の担保ともなり、それを触発する(4)。例えば、雨露を防ぐという問題解決のために屋根を作るとする。一端こうした人工物を構築すると、次回からは同じ問題が生じても再び同じ作業をするのではなく、問題解決をその人工物に委託することが出来る。こうした人工物の役割を、彼は「潜在的知性」(potential intelligence)と呼び、人間の知性の多くがこの潜在的知性としての人工物の存在に依拠して成立するものであることを示した。こうした「潜在的知性」としての人工物は、一端創設され我々の社会的な行為連関の内に埋め込まれると、我々の行為に介在し、行為の合理的在り方を規定するようになる。原理的には屋根を用いずに雨露を防ぐという選択肢も存在するが、一端屋根が作られ、人口に膾炙すれば、それを用いないことは非-合理的で非-知性的であると見なされるのである。人工物が使い易いものとして作られ、その存在が自明化されればされるほど、このような圧力は増大の方向を辿るのである。こうして、「潜在的知性」という概念を通してみると、「道具説」的な「合理性」の在り方は、それが追求されればされるほど人間の制御を離れ、その「決定論」的意味へと近接してゆくことになる。

 ではしかし、こうした技術的「合理性」は一義的・普遍的なものであろうか。もしそうだとすれば、技術の展開を批判する基準はこの合理性をおいて他には存在しなくなり、技術に対する倫理的判断の余地は消滅する。歴史的な事例を見ると、このような見方を反証する例が見出される(5)

 例えば、産業革命期における「<子供>の誕生」(F・アリエス)がその一例である。イギリスにおける1884年の工場法の成立によって、児童と婦人の労働は規制されることになった。それ以前では、工場での未熟練労働者としての子供は貴重で安価な労働力であり、その労働を規制することは非効率的・非合理的であると見なされていた。しかし、一端工場法が制定されると、結果として工場労働の集約化がもたらされ、子供は社会的学習者として再定義されるようになった。彼らはより高度な能力を持った労働力の予備軍を形成し、技術デザインもこのような条件に適合するものへと再編成された。そして、今日では子供を労働力として駆り出すことを効率的で合理的であるとは誰も考えなくなっている。

 この例は、効率性という概念が実質的価値と無関係に規定しうるものではなく、むしろ一定の社会的な「価値の地平」を前提として初めて機能するものであることを示している。社会の在り方が変換し、価値の地平が変動すると、それに応じて技術的合理性の概念自体も変化するのである。この例では技術的合理性とは何かが、工場法の制定という政治的討議を通して変更されたのである。従って、技術的合理性は、その概念を技術的要因のみによって決定されるのではなく、社会的・政治的要因によっても決定されているのである。

 上述の技術と社会的体制化の関係を含め、こうした技術の在り方を考慮するならば、技術は社会的文脈と独立な事柄ではないということが確認できよう。技術の合理性とは、技術的要因と社会的要因を媒介し、それらの相互交渉を通してそれらに妥協をもたらす働きであり、根本的に「政治的な」論理であると言える。ここでも、技術の「両義性」を確認することが出来よう。


技術の政治性

 こうして、「技術の政治性」という存在性格が確認された。次に、L・ウィナーの議論を考察することにより、技術の政治性について考察を深めることにする。

 ウィナーは、「自然に対する優越性や経済的利益を手に入れるという技術の第一の結果よりも、そうした技術革新によってもたらされる第二の意図せざる結果や影響――それは広範な社会的・文化的・政治的・環境的な効果をもたらす――の方がしばしば遥かに大きな重要性を持つ」と述べ、技術がその形成に寄与する「生活形式」に注意を促している(6)

例えば、産業革命においては、織物の製造、石炭の精製、鉄道の開設などの技術革新によってもたらされた産業的優越性と経済的利益よりも、まったく新たな種類の社会――産業社会――が産み出されたことの方がより重要である。さらには、労働効率と生産性を上昇させるために導入された労働環境のオートメーション化による副産物としてもたらされた監視システムが、労働者をパノプティコン的な監視体制下に置き、人々の社会的なコミュニケーション能力を減退させているとも主張している。

こうした産業化による副次的影響は、効率性・生産性・グローバルな競合性を追及する技術システムの革新が、「技術封建制」と呼ぶべき事態へと退歩しているという主張へと我々を導くことになる。こうした抑圧的な統合機能を採用するのではなく、自由で公正な社会の在り方を模索する試みとして、ウィナーは「技術革新のプロセスを民主化する方法を育成するという道」を選ぶべきであると主張する。

 その具体的な取り組みのひとつとして「コンセンサス会議」を挙げることが出来る。これはアメリカで開発されたものだが、日本では公害問題・環境問題の出現などを背景として、科学技術によって多大な恩恵を蒙ると共に、それによって大きな危険にさらされていることを認識し始めた市民から、科学技術に関する政策決定などが専門家中心に行なわれていることに疑問が投じられるようになり、科学技術に関わる政策討議の場に一般市民が関わる可能性のひとつとして注目されるようになった。コンセンサス会議は、専門家と一般市民が専門的知識を共有し合い、討議を重ね、政策決定の場面における合意形成を目指すものである。技術は専門家が想定するような直接的影響だけではなく、それよりも重大な副次的影響をもたらし、我々の「生活形式」を大きく変換する。一般市民の視点を技術革新のプロセスに内在化することは、こうした副次的影響を可能な限り顕在化しようとする試行のひとつとして評価できる。問題点は多々あるようだが、こうした試みは技術革新のプロセスにおける「公共性」の創出に寄与するものとして注目すべき事例だろう。


結語

 技術の「両義性」という存在性格の確認によって、我々は、技術が目的とは切り離された手段の領域に属するという「道具説」と、技術がそれ自身によって目的を決定するという「決定論」を共に退けた。技術革新のプロセスを民主化することによって、技術の政治性を自覚し、技術それ自身に「目的内在化」の機能を付与し、目的それ自体を批判の対象とすることができるようになる。もちろん、技術がその目的やそれが与える広範な影響をどれほど可視化しうるかは問われなければならない。しかしながら、現代において技術について考える上で、技術と社会、技術と政治が取り結ぶ密接不可分な連関がどのようにあり、かつ、どのようにあるべきかを問うことは不可避の課題であろう。本論では技術と科学、科学技術と自然、技術と知覚といった主題に対して考察を加えることは紙幅の許すところではなかったが、いずれも重要な主題である。また、より具体的な技術の在り方に即してそれらの問題を考察する必要があろう。今後の課題としたい。




(1) 「技術の両義性」に関する議論は村田純一の論述に拠る。参考文献1.2.3.を参照。

(2) 参考文献1P.264

(3) 村田は「技術は目的と手段の「間」にある」と述べているが、技術の生成の論理を考慮するならば、より踏み込んだこうした表現が適切だろう。

(4) 参考文献2.

(5) 参考文献1.P.23

(6) 参考文献4.


参考文献

1.『岩波講座 現代思想13 テクノロジーの思想』 新田義弘他編 岩波書店 1994

2.『技術と倫理 ―技術の本性と解釈の柔軟性―』 村田純一著

  http://www.fine.lett.hiroshima-u.ac.jp/fine2001/murata_j.html

3.『技術と生活世界』 村田純一著

  http://www.kclc.or.jp/humboldt/murataj.htm

4.『Artifacts/Ideas and Political Culture』 Langdon Winner, Whole Earth Review, No.73(Winter 1991), pp.18-24.

5.『Luddism as Epistemology』 Longdon winner, From Autonomous Technology: Technics-out-of-Control as a Theme in Political Thought, Cambridge, MA: The MIT Press, 1977, pp.325-35,372-3,abridged.

「聴く力」について

 ここで共に考えてみたいことは、「聴く」という行為のもつ力、である。私たちは日々他者たちと交わり、語らい、ときに沈黙する。視線を交錯させ、ことばを通わせ、身体を交流させる。こうした他者とのふれあいのうちに、私の存在は様々な密度と振幅を往還し、他者たちとの共振の経験によって育まれる。しかしながら、こうした他者との経験の諸相を振り返ろうとするとき、しばしば人は、「語ること」や「行うこと」といった能動的な側面にのみ視線を振り向け、「聴くこと」や「()けること」といった受動的な側面を視界から遠ざけてきた。「聴くこと」や「()けること」は単に受動的なものに留まるものではないにも関わらず、である。「聴くこと」、「それは語る側からすれば、ことばを受けとめてもらったという、たしかな出来事」(『「聴く」ことの力』鷲田清一著)である。「聴くこと」のうちには、他者の自己理解を促していくような、存在受容の経験が含まれているのであり、この「聴くこと」の受動性が「語ること」の能動性を密やかな仕方で枠付けているのである。何気なく交わされることばが相手に「確かなもの」として受け止められていると感じたとき、その感覚は自身の存在を奥深くで支えてくれる大きな力となる。詩人の白井かずこがある新人に対して述べた助言を想起すれば、「詩人にとって何よりも怖いのは、批判されることではなくて、無視されること」だという。批判されることは、たとえ否定的な形にせよ自身のことばが受けとめられたということ、そのことによって自身のことばが他者のうちに場所を得たということである。反対に無視されることは、自身のことばが居場所を失うということ、そのことによって自身の存在までもが危うくなるということである。共同体における村八分や教室における仲間はずれが極めて残酷な仕打ちとなるのも、それが他者の否定ではなく他者への無関心を引き起こし、それによって他者を抹消しようとするものだからである。これにまつわって、精神科医の北山修は「陣取りや椅子取りなどの居場所を奪うゲームが他のゲームに比べてきわめて残酷であることがあまり気付かれていない」と指摘している。居場所の喪失、声の抹消という経験は、社会的マイノリティーや難民、従軍慰安婦たちが被ってきたものでもあることを忘れてはならないだろう。


「聴くこと」について考えることは、「私」という存在を新たな布置のもとに再考することにもつながる。「私とは何か」というアイデンティティーにまつわる問いは、これまでしばしば自己を自己自身で反省するという能動的なリフレクション(=反省・反射)の構造の中で問われることによって、他者の存在を意識的に排除してきた。しかし、「私とは何か」と問うためには、私という自閉的な領域に引きこもって終わりなき独話(=モノローグ)を繰り返すのではなく、他者との対話(=ダイアローグ)のうちにこそ定位しなければならないだろう。そのときに初めて、私の存在は「他者にとっての他者」として、匿名的ではない人称的な「かけがえのなさ」において、人一般ではなくまさに「誰かにとっての誰か」というとりかえの効かないものとして、その輪郭を浮かび上がらせることになる。

そもそも「私」ということばが使用可能なものとして成立するためには、その「私」ということばが誰にとっても使用可能であるという暗黙の理解が要請される。「あなた」が「私」と呼んでいるものは「私」にとって「あなた」であり、「あなた」が「あなた」と呼んでいるものは「私」にとって「私」であるという、こうした互換性に対する理解が「私」ということばの使用を条件づけているのである。「私」ということばは、一般的な話者をあらわす「私」を媒介としてのみ、「私」となることができる。「私」の成立は「他者」の成立を含みこんでおり、それらは「共立」することによって初めて個々別々のものとして剥離するのである。だとすれば、「私」ということばの成立は、自閉的な「私」の固有性を否定することによってのみ可能であるといえよう。ルネサンス以降、近代の知的営みは「私」の絶対的な固有性・自立性を核として成立してきたが(デカルトの「われ思う、ゆえに我あり」というテーゼはこの絶対的な固有性としての「私」の宣言であった)、この「私」のうちにはすでに「私」の否定が(はら)まれているのであり、「私」はその同一性のうちに鎖領しているのではなく、他者へとつねにすでに開かれているのである。そればかりか、この他者への受動的な開けを介してのみ、「私」はその固有性をかろうじて保持することができるのである。

「聴くこと」について考えることは、したがって出来上がった個人から出発して人と人との間柄を考えるのではなく、まさに人と人とが互いに欠くべからざるものとして交流し、互いに他の存在を受胎し合う、そうした相互共立の経験について考えることである。あるいは、充実した存在としての「個人」からではなく、傷つくことやほころぶこともある、裂け目や亀裂を内蔵した欠如ある存在としての私と他者の「関係性」から思考を紐解いてゆくことである。こうした視点から考えるとき、対話の経験も、単純に発話の応酬としてではなく、「享けること」を核とした共振の経験として捉えられなければならないだろう。対話とは第一に、対面的状況におけることばの投げ合いなのではなく、「聴くこと」によって産み落とされることばのうちに、相互の存在が()り合いながらほどかれてゆくような、そうした「介添え」とでも言うべき経験なのである。


 「聴くこと」の経験がまずは何よりも存在受容の経験であるということを示す好例がある。それは中川米造の『医療のクリニック』のなかで引かれているターミナル・ケアをめぐるアンケートのことである。この調査の対象集団は、医学生、看護学生、内科医、外科医、ガン医、精神科医、それに看護士である。そのなかに、次の設問があった。「わたしはもうだめなのではないでしょうか?」という患者のことばに対して、あなたならどう答えますか、という問いである。これに対して、次の五つの選択肢が立てられている。

(1)「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。

(2)「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える。

(3)「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。

(4)「これだけ痛みがあると、そんな気にもなるね」と同情を示す。

(5)「もうだめなんだ……とそんな気がするんですね」と返す。

 結果は、精神科医を除く医師と医学生のほとんどが(1)を、看護士と看護学生の多くが(3)を選んだ。それに対して、精神科医の多くが選んだのは(5)である。これは一見なんの答えにもなっていないように見えるが、じつはこれは解答ではなく、「患者のことばを確かに受けとめた」という応答なのである。こうした「聴くこと」によることばの()のままの受容によって、患者は自分のことばが他者の身のうち深くで受けとめられたのだと察し、口を開き始める。この精神科医の選択は、患者の「不安」や「苦しみ」を単に緩和・解消するのではなく、そうした「不安」や「苦しみ」といった問題をともに抱え込み、腑分けし、理解し、考えるという営みを通じてそれを内側から超えでてゆこうとする力を呼び込む、そのための「介添え」をなそうとする態度に由来している。「聴く力」の所在もここにある。患者の多くは得体の知れない不安を抱え、宛て先のない苦しみのなかで身をこわばらせている。「聴くこと」はまずもって、相手のことばを受けとめることによって相手の身の「こわばり」を、「身構え」をときほぐすことである。しかしながら、このように「聴くこと」によって相手の硬直を解凍し、うちとけ合った「交歓」としての対話を始めることは、そうたやすいものではない。互いの「こわばり」がほぐれないままに対話が行われるとき、ことばとことばはすれ違い、相手に届かないままに凍結してゆく。あるいはことばは矢のように相手を貫き、相手の「身構え」をますます強固にしてゆく。相手がまるで鋼鉄の鎧をまとっているかのように感じられる瞬間である。

こうした張り詰めた緊張状態のなかでの対話においては、「聴くこと」はその語られた「内容」に対して集中されてゆく。何が語られているのか、そうした言葉の表層を捉えることにのみ意識が費やされ、その結果、アクセント、イントネーション、ポーズ、リズム、テンポ、テクスチュアといったことばの「肌理(きり)」はその質感と厚みを失ってゆく。ことばから豊かな「表情」が失われてゆくのである。ことばの表情は引き()り、沈黙は耐えがたい針のむしろとなる。反対に、「聴く力」が発揮され、対話が「交歓」として成就したとき、声は艶やかな表情を取り戻し、沈黙はことばそのものよりも濃密なことばでざわめきだす。このとき、ことばは記号の交換というよりは、ひとつの「旋律」、ひとつの「合唱」という色合いを強くする。熊野純彦は『差異と隔たり』のなかで、言語習得以前における幼児の経験にまで遡りながら、言語の発生を「ことばそのものの韻律的なあらわれ」としての音声そのものの「表情的な性格」へと求めてゆく。言語習得以前の幼児にとって、語りかけられることばは、いまだ明確な輪郭を構成することはなく、ひとつの旋律のつならりとして感受されており、沈黙もまたそれが呼び込むざわめきとともにひとつの間奏として享受されている。また、幼児をあやし、喃語(なんご)によって語りかける大人の発話も、しばしばその韻律的な側面が誇張され、その音楽性が強調される。幼児と大人は、こうしたリズム性の高いことばによる交流を通じて、相互の「共鳴」を触発されてゆくのである。この共鳴の経験を素地として、この経験に促されながら、幼児における言語の成立や未分化な生理的反応の分化がなされてゆく。したがって、幼児の発育にとってはこの共鳴の経験がかけがいのない大きな意味を持つのである。

ことばはその発生において、何らかの意味の伝達を行うのではなく、意味の外で、相互の共鳴を通じた交流の経験をかたちづくる。「ことばは、たんなる手段あるいは道具ではなく、なによりもまず、交流のかたちそのものである」(『差異と隔たり』)。「聴くこと」の経験において、私は相手の発話の「意味内容」を通じて他者に触れるのではない。まずもって、他者の声の「表情」をたどり伝うようにして、他者の「沈黙」を包み浴すようにして、他者の確かな存在の感触にゆきつくのである。

こう考えてくると、「聴く力」とは、発話された声を事後的に聴くということではなく、何よりも、「聴くこと」によって黙して語らない経験をときほぐし開いてゆくこと、すなわち、「沈黙の声」を聴くこと、なのではないだろうか。言い澱んだその言切れのなかにこそ、他者の存在の確かな航跡があるのではないだろうか。そして、こうした「聴くこと」を素地とした経験のうちにこそ、互いの存在を糾弾するのではなく許し迎えあうような、そうした対話のありうべきかたちが萌芽しているのではないだろうか。もちろん、日々の具体的な対話は様々な社会関係のなかで営まれるのであり、この社会関係の媒介が対話を状況づけているとともに、ときに対話を固定化・希薄化していることも事実である。「聴く力」をめぐる思考は、「私とあなた」という二者関係に留まらず、こうした社会関係をも問いとして含まなければならないだろう。


 最後に一例を引こう。西村ユミは『看護ケアの現象学』において、植物状態となった患者を専門に受け入れている病院に一年間にわたって身を置き、その施設の看護士に対して継続的に行ったインタビューの経験を通して、看護行為における「対話」について論じている。植物状態とはコミュニケーション手段を喪失した状態であるが、そこの看護士たちは時には十年にも及ぶ一人の患者との長い「介添え」のなかで、確かに患者と「対話」し「交流」している、そうした微かな、しかし濃密な経験の手触りを持っている。患者と「視線が絡む」とか、呼びかけの声と患者のまばたきの「タイミングが合う」とかいったように、看護士たちは患者との微かな「同調」の経験について、本当にそれが起こったのか自らに問い直しながらも語るのである。知覚経験の奥深い層において、確かに患者と看護士は交歓の経験をわかちもっている。そして看護士たちは、患者たちとの経験が「支えになっている」「癒されているのは私の方」「私たちの方が、彼らを必要としている」とも語る。西村は、こうした看護における濃密な「対話」について次のように述べる。「そこで得られている通じ合えるという手応えや「視線が絡む」という感覚的経験が、一人の看護婦としての存在をも支えているのである。植物状態患者のいのちを支えているはずの看護婦が、逆に支えられているという感覚、それがこうした看護を成立させていたのであろう」。ケアする者が、そのケアの送り先の相手によって、同時に自らの存在をケアされているということ。こうした相互交歓の関係のうちには、「聴くこと」の力がありありと描きだされてはいないだろうか。

 この拙い小論の範囲では、いまだ問いえていないこと、及びえていないことは多々あるが、あとは各自に引き継ぐことにしたい。それぞれがこの講義をどのように受けとめ、どのように育んでゆくか、その問いを自らにも課しつつ、ここでひとまず論を閉じよう。

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