「聴く力」について | autochromatics differencia

「聴く力」について

 ここで共に考えてみたいことは、「聴く」という行為のもつ力、である。私たちは日々他者たちと交わり、語らい、ときに沈黙する。視線を交錯させ、ことばを通わせ、身体を交流させる。こうした他者とのふれあいのうちに、私の存在は様々な密度と振幅を往還し、他者たちとの共振の経験によって育まれる。しかしながら、こうした他者との経験の諸相を振り返ろうとするとき、しばしば人は、「語ること」や「行うこと」といった能動的な側面にのみ視線を振り向け、「聴くこと」や「()けること」といった受動的な側面を視界から遠ざけてきた。「聴くこと」や「()けること」は単に受動的なものに留まるものではないにも関わらず、である。「聴くこと」、「それは語る側からすれば、ことばを受けとめてもらったという、たしかな出来事」(『「聴く」ことの力』鷲田清一著)である。「聴くこと」のうちには、他者の自己理解を促していくような、存在受容の経験が含まれているのであり、この「聴くこと」の受動性が「語ること」の能動性を密やかな仕方で枠付けているのである。何気なく交わされることばが相手に「確かなもの」として受け止められていると感じたとき、その感覚は自身の存在を奥深くで支えてくれる大きな力となる。詩人の白井かずこがある新人に対して述べた助言を想起すれば、「詩人にとって何よりも怖いのは、批判されることではなくて、無視されること」だという。批判されることは、たとえ否定的な形にせよ自身のことばが受けとめられたということ、そのことによって自身のことばが他者のうちに場所を得たということである。反対に無視されることは、自身のことばが居場所を失うということ、そのことによって自身の存在までもが危うくなるということである。共同体における村八分や教室における仲間はずれが極めて残酷な仕打ちとなるのも、それが他者の否定ではなく他者への無関心を引き起こし、それによって他者を抹消しようとするものだからである。これにまつわって、精神科医の北山修は「陣取りや椅子取りなどの居場所を奪うゲームが他のゲームに比べてきわめて残酷であることがあまり気付かれていない」と指摘している。居場所の喪失、声の抹消という経験は、社会的マイノリティーや難民、従軍慰安婦たちが被ってきたものでもあることを忘れてはならないだろう。


「聴くこと」について考えることは、「私」という存在を新たな布置のもとに再考することにもつながる。「私とは何か」というアイデンティティーにまつわる問いは、これまでしばしば自己を自己自身で反省するという能動的なリフレクション(=反省・反射)の構造の中で問われることによって、他者の存在を意識的に排除してきた。しかし、「私とは何か」と問うためには、私という自閉的な領域に引きこもって終わりなき独話(=モノローグ)を繰り返すのではなく、他者との対話(=ダイアローグ)のうちにこそ定位しなければならないだろう。そのときに初めて、私の存在は「他者にとっての他者」として、匿名的ではない人称的な「かけがえのなさ」において、人一般ではなくまさに「誰かにとっての誰か」というとりかえの効かないものとして、その輪郭を浮かび上がらせることになる。

そもそも「私」ということばが使用可能なものとして成立するためには、その「私」ということばが誰にとっても使用可能であるという暗黙の理解が要請される。「あなた」が「私」と呼んでいるものは「私」にとって「あなた」であり、「あなた」が「あなた」と呼んでいるものは「私」にとって「私」であるという、こうした互換性に対する理解が「私」ということばの使用を条件づけているのである。「私」ということばは、一般的な話者をあらわす「私」を媒介としてのみ、「私」となることができる。「私」の成立は「他者」の成立を含みこんでおり、それらは「共立」することによって初めて個々別々のものとして剥離するのである。だとすれば、「私」ということばの成立は、自閉的な「私」の固有性を否定することによってのみ可能であるといえよう。ルネサンス以降、近代の知的営みは「私」の絶対的な固有性・自立性を核として成立してきたが(デカルトの「われ思う、ゆえに我あり」というテーゼはこの絶対的な固有性としての「私」の宣言であった)、この「私」のうちにはすでに「私」の否定が(はら)まれているのであり、「私」はその同一性のうちに鎖領しているのではなく、他者へとつねにすでに開かれているのである。そればかりか、この他者への受動的な開けを介してのみ、「私」はその固有性をかろうじて保持することができるのである。

「聴くこと」について考えることは、したがって出来上がった個人から出発して人と人との間柄を考えるのではなく、まさに人と人とが互いに欠くべからざるものとして交流し、互いに他の存在を受胎し合う、そうした相互共立の経験について考えることである。あるいは、充実した存在としての「個人」からではなく、傷つくことやほころぶこともある、裂け目や亀裂を内蔵した欠如ある存在としての私と他者の「関係性」から思考を紐解いてゆくことである。こうした視点から考えるとき、対話の経験も、単純に発話の応酬としてではなく、「享けること」を核とした共振の経験として捉えられなければならないだろう。対話とは第一に、対面的状況におけることばの投げ合いなのではなく、「聴くこと」によって産み落とされることばのうちに、相互の存在が()り合いながらほどかれてゆくような、そうした「介添え」とでも言うべき経験なのである。


 「聴くこと」の経験がまずは何よりも存在受容の経験であるということを示す好例がある。それは中川米造の『医療のクリニック』のなかで引かれているターミナル・ケアをめぐるアンケートのことである。この調査の対象集団は、医学生、看護学生、内科医、外科医、ガン医、精神科医、それに看護士である。そのなかに、次の設問があった。「わたしはもうだめなのではないでしょうか?」という患者のことばに対して、あなたならどう答えますか、という問いである。これに対して、次の五つの選択肢が立てられている。

(1)「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。

(2)「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える。

(3)「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。

(4)「これだけ痛みがあると、そんな気にもなるね」と同情を示す。

(5)「もうだめなんだ……とそんな気がするんですね」と返す。

 結果は、精神科医を除く医師と医学生のほとんどが(1)を、看護士と看護学生の多くが(3)を選んだ。それに対して、精神科医の多くが選んだのは(5)である。これは一見なんの答えにもなっていないように見えるが、じつはこれは解答ではなく、「患者のことばを確かに受けとめた」という応答なのである。こうした「聴くこと」によることばの()のままの受容によって、患者は自分のことばが他者の身のうち深くで受けとめられたのだと察し、口を開き始める。この精神科医の選択は、患者の「不安」や「苦しみ」を単に緩和・解消するのではなく、そうした「不安」や「苦しみ」といった問題をともに抱え込み、腑分けし、理解し、考えるという営みを通じてそれを内側から超えでてゆこうとする力を呼び込む、そのための「介添え」をなそうとする態度に由来している。「聴く力」の所在もここにある。患者の多くは得体の知れない不安を抱え、宛て先のない苦しみのなかで身をこわばらせている。「聴くこと」はまずもって、相手のことばを受けとめることによって相手の身の「こわばり」を、「身構え」をときほぐすことである。しかしながら、このように「聴くこと」によって相手の硬直を解凍し、うちとけ合った「交歓」としての対話を始めることは、そうたやすいものではない。互いの「こわばり」がほぐれないままに対話が行われるとき、ことばとことばはすれ違い、相手に届かないままに凍結してゆく。あるいはことばは矢のように相手を貫き、相手の「身構え」をますます強固にしてゆく。相手がまるで鋼鉄の鎧をまとっているかのように感じられる瞬間である。

こうした張り詰めた緊張状態のなかでの対話においては、「聴くこと」はその語られた「内容」に対して集中されてゆく。何が語られているのか、そうした言葉の表層を捉えることにのみ意識が費やされ、その結果、アクセント、イントネーション、ポーズ、リズム、テンポ、テクスチュアといったことばの「肌理(きり)」はその質感と厚みを失ってゆく。ことばから豊かな「表情」が失われてゆくのである。ことばの表情は引き()り、沈黙は耐えがたい針のむしろとなる。反対に、「聴く力」が発揮され、対話が「交歓」として成就したとき、声は艶やかな表情を取り戻し、沈黙はことばそのものよりも濃密なことばでざわめきだす。このとき、ことばは記号の交換というよりは、ひとつの「旋律」、ひとつの「合唱」という色合いを強くする。熊野純彦は『差異と隔たり』のなかで、言語習得以前における幼児の経験にまで遡りながら、言語の発生を「ことばそのものの韻律的なあらわれ」としての音声そのものの「表情的な性格」へと求めてゆく。言語習得以前の幼児にとって、語りかけられることばは、いまだ明確な輪郭を構成することはなく、ひとつの旋律のつならりとして感受されており、沈黙もまたそれが呼び込むざわめきとともにひとつの間奏として享受されている。また、幼児をあやし、喃語(なんご)によって語りかける大人の発話も、しばしばその韻律的な側面が誇張され、その音楽性が強調される。幼児と大人は、こうしたリズム性の高いことばによる交流を通じて、相互の「共鳴」を触発されてゆくのである。この共鳴の経験を素地として、この経験に促されながら、幼児における言語の成立や未分化な生理的反応の分化がなされてゆく。したがって、幼児の発育にとってはこの共鳴の経験がかけがいのない大きな意味を持つのである。

ことばはその発生において、何らかの意味の伝達を行うのではなく、意味の外で、相互の共鳴を通じた交流の経験をかたちづくる。「ことばは、たんなる手段あるいは道具ではなく、なによりもまず、交流のかたちそのものである」(『差異と隔たり』)。「聴くこと」の経験において、私は相手の発話の「意味内容」を通じて他者に触れるのではない。まずもって、他者の声の「表情」をたどり伝うようにして、他者の「沈黙」を包み浴すようにして、他者の確かな存在の感触にゆきつくのである。

こう考えてくると、「聴く力」とは、発話された声を事後的に聴くということではなく、何よりも、「聴くこと」によって黙して語らない経験をときほぐし開いてゆくこと、すなわち、「沈黙の声」を聴くこと、なのではないだろうか。言い澱んだその言切れのなかにこそ、他者の存在の確かな航跡があるのではないだろうか。そして、こうした「聴くこと」を素地とした経験のうちにこそ、互いの存在を糾弾するのではなく許し迎えあうような、そうした対話のありうべきかたちが萌芽しているのではないだろうか。もちろん、日々の具体的な対話は様々な社会関係のなかで営まれるのであり、この社会関係の媒介が対話を状況づけているとともに、ときに対話を固定化・希薄化していることも事実である。「聴く力」をめぐる思考は、「私とあなた」という二者関係に留まらず、こうした社会関係をも問いとして含まなければならないだろう。


 最後に一例を引こう。西村ユミは『看護ケアの現象学』において、植物状態となった患者を専門に受け入れている病院に一年間にわたって身を置き、その施設の看護士に対して継続的に行ったインタビューの経験を通して、看護行為における「対話」について論じている。植物状態とはコミュニケーション手段を喪失した状態であるが、そこの看護士たちは時には十年にも及ぶ一人の患者との長い「介添え」のなかで、確かに患者と「対話」し「交流」している、そうした微かな、しかし濃密な経験の手触りを持っている。患者と「視線が絡む」とか、呼びかけの声と患者のまばたきの「タイミングが合う」とかいったように、看護士たちは患者との微かな「同調」の経験について、本当にそれが起こったのか自らに問い直しながらも語るのである。知覚経験の奥深い層において、確かに患者と看護士は交歓の経験をわかちもっている。そして看護士たちは、患者たちとの経験が「支えになっている」「癒されているのは私の方」「私たちの方が、彼らを必要としている」とも語る。西村は、こうした看護における濃密な「対話」について次のように述べる。「そこで得られている通じ合えるという手応えや「視線が絡む」という感覚的経験が、一人の看護婦としての存在をも支えているのである。植物状態患者のいのちを支えているはずの看護婦が、逆に支えられているという感覚、それがこうした看護を成立させていたのであろう」。ケアする者が、そのケアの送り先の相手によって、同時に自らの存在をケアされているということ。こうした相互交歓の関係のうちには、「聴くこと」の力がありありと描きだされてはいないだろうか。

 この拙い小論の範囲では、いまだ問いえていないこと、及びえていないことは多々あるが、あとは各自に引き継ぐことにしたい。それぞれがこの講義をどのように受けとめ、どのように育んでゆくか、その問いを自らにも課しつつ、ここでひとまず論を閉じよう。