憂色暮色 | autochromatics differencia

憂色暮色

「改正」教育基本法があっさりと成立してしまった(防衛庁の「省への昇格も)。改正案の中身もさることながら、その立法過程にも大きな禍根が残る採決だった。現在の与党が有している議席は郵政民営化を争点とした前回の総選挙によって得られたものなのだから、そこにおいて争点としなかったこれらの重要法案を国会での審議にかけるならば、その前に改めて解散総選挙をやって国民の信義を問うべきであるはずだ。

今夜のNHKのニュースに出演していた伊吹文科相の発言を聞いていると、どこかで幾人かの論者が挙げていた「今回の法改正の隠れた狙いは、教育における地方分権化の流れのなかに国家主導の指導体制を織り込んで伸張させてゆくための基盤を整備するという点にある」という指摘も頷けてくる気がする。伊吹文科相は、教育の基本的な骨格は「特定のイデオロギーをもった知事」に任せるべきではなく、「国民の選挙によって民主的に選出された国会において決定すべき」と語る(引用は記憶に頼っているため正確ではないので注意)。

この発言は二重の意味で問題である。第一に、地方首長である知事も都道府県民による選挙に基づいて民主的に選出されているのであり、その地位を「偏向したイデオロギーをもっている」という一言によって無視できるはずがない。こうした乱暴な発言も、最近の地方行政における談合問題で知事に対する一般的な不信感が増していることを後ろ盾とすると、視聴者の側にそれほど違和感なく受け止められてしまう恐れがある。

第二に、知事に「特定のイデオロギーをもっている」というレッテルを帰し、国会議員の選出過程における民主制をそれと対照的に強調することで、地方に対して国の方が「偏向なく」、「中立的」であるという前提を無害化しようとしているように聞こえる。だが、地方に対して国の方が行政上の不党不偏性が高いという前提には大した根拠は認められない。行政上の単位において県と国という規模の差があるということを根拠として挙げるかもしれないが(つまり、国会議員の方がより多くの選挙民に選ばれている)、現在の小選挙区制では、むしろ、ある特定の議員の選出に際して直接に投票権をもつ選挙民の数は知事選の場合よりも少ないため、この論は成り立たない。

 それほど詳しく追っているわけではないが、ここに例示したような細かいレトリック上の操作が、至るところで様々な論者によって行われ、徐々に争点を曖昧化しながら今回の審議が進んできたという印象がある。教育問題は全般に渡ってもっと突っ込んで調べていきたいが、さすがに締め切り一ヶ月前のこの時期にあまり時間は裂けない。いずれにせよ、憲法の次に重要な教育基本法がこうも容易く「改正」されてしまうとは、非常に憂鬱だ。

http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/edu0604.html

(ここで現行法と改正案を比較しながら読むことができます)

その他にも調べれば現行法と改正法との比較検討を行ったサイトはごまんと出てきます。

 最後に笑いを。あるジャーナリストが紹介していた、「劇団ザ・ニュースペーパー( http://www.dop.co.jp/  )」の一員による安倍首相の傑作物まね映像。

http://www.youtube.com/watch?v=9bwnCs4u6FU&mode=related&search =