老翁よ | autochromatics differencia

老翁よ

 村上春樹の『1973年のピンボール』に、交換された配電盤を双子の姉妹とともに貯水池に葬りに行く「配電盤の葬式」という印象深いエピソードがあるが、我が家の炊飯ジャーにもそろそろ葬式の時が近づいているようだ。ここ数日、分量通りに水加減を調整しているにもかかわらず、芯の残った無残な硬い米が後に残されるという事例が立て続けに起こっている。その原因は、「こちら側」のミスではなく、「あちら側」の失調にある。炊飯ジャーはかつての勢力を失い、もはや米に必要かつ十分な熱量を届けることができないほどに老いてしまったのだ。悲しむべきかな、老翁よ。しかし、これが運命の等しく帰するところなのだ。

考えてみれば、兄が一人暮らしを始めるときに購入し、それを私が受け継いで使っているので、もうこの釜も十年近くの齢を経てきたことになる。葬送の句にカントの一節でも引用しつつ、どこかの貯水池でも見つけて手厚く葬ってやることにしようか、と思ったが、不法投棄になるのでやめにした。周りを見回すと、様々な家具や家電に年月の刻印が染み付いてきている。ディドロ効果には気をつけないといけない。

今夜の晩御飯


11/29

11/29 補遺

メニュー

卯の花バーグのライスバーガー

トマトと水菜のサラダ

えのきの味噌汁

我が手元に残された硬い米を何とか食せる代物にするために、薄く延ばして胡麻油で焼き、ハンバーガーのパンズの代用にしてみる。大量に残った卯の花を利用して拵えたハンバーグを挟んで、照り焼き風のソースを絡め、珍妙な形のライスバーガーにする。手間は掛かっても、どこかで聞いた「一粒一年」という言葉が耳に残り、米を無下にはできないのである。