摂食時無呼吸症候群 | autochromatics differencia

摂食時無呼吸症候群

 睡眠時無呼吸症候群という恐ろしい症候群があるが、私は「摂食時無呼吸症候群」とでも言うべきものにここ数日悩まされている。

私は根治しがたい慢性のアレルギー性鼻炎持ちで、「鼻が完全に開通している」という感覚を物心ついてから味わったことがない。最近、その鼻炎の症状がとみに悪化し、酷い時には一分おきくらいでティッシュに手を伸ばしている。鼻腔は呼吸器官であることを忘れたかのように閉塞し、口はその反動で始終開きっぱなしである。

当然この症状は食事の間も続く。それゆえ、食べ物を咀嚼している間、私は深刻な無呼吸状態に陥るのである。悠長に咀嚼していることなどできない。素早く食物を噛み砕き、間隙を挟まず嚥下して胃に送り込まないと、苦しい窒息状態が待っているのである。スローフードも何もあったものではない。丹念に咀嚼することが、単に消化吸収を助けるというだけではなく、リズム運動を促すことでセロトニンの分泌を高めるという点でも奨励すべきことであるのは承知しているが、残念ながらその余裕はないのである。

今日ようやく鼻炎薬を購入したので、何とか危機の絶頂は脱することができるだろう。だが、これは根本的な治療とは程遠い。中学生の頃に三年間耳鼻科に通い続け、アレルギー注射を合計で数十本も打ってきたが、それでも根治しなかった。どこかのタイミングで再び根治に挑まなければ、いつか私の死因には「摂食時無呼吸症候群」という診断名がつくことになるだろう。

 昨夜の晩御飯。


11/26

メニュー

ピータン粥

蕪のアジアンサラダ

葉物の中華スープ

ピータン粥には白髪葱を醤油とラー油に浸しておいたものを添える。蕪は軽く塩漬けにし、水分を切ってから他の野菜と混ぜる。豚肉を胡麻油でカリカリに焼き、油ごとサラダの上に注ぐ。そして仕上げにナンプラーで塩気と香りを足す。できればゆっくりと味わいたいものである。

 最後に、ル・モンド・ディプロマティークの記事を紹介しておこう。今回は北朝鮮の核問題に関する二つの論考が掲載されているが、北朝鮮による核実験の動因をどう見るかという点で微妙な食い違いを示していて興味深い。分析を開陳する余裕はないが、政権交代以降、日本の再軍備化が、国内世論が感じている以上に、国際社会のなかで懸念をもって眺められているということは知っておくべきだろう。

「安部政権の発足」

http://www.diplo.jp/articles06/0611.html

「北朝鮮の核実験を中国から見ると」

http://www.diplo.jp/articles06/0611-4.html

日本の核兵器保持についての問題は、日本国内における米軍駐在の問題と絡み合っていてなかなか難しい。核兵器保持に反対の立場をとり、同時に国内に駐在する米軍基地の撤退を求める向きは多いし、私も可能な限りその立場を採りたい。しかし、これに対して、米国の傘の下を離れ、沖縄を始めとする国内の米軍基地を撤退させたいのであれば、日本は自律的な防衛手段を確保するために抑止力としての核兵器を持たなければならないという論がある。そうした論からすれば、核兵器保持に反対することと米軍駐在に反対することとは二律背反を抱えているということになる。この論が必然性なものであるか否かを吟味するためにも、核兵器をもつことの費用便益の分析を専門家たちが多角的な視点から行うことは必要だと思うが、なかなかそうした声は上がりにくいのが現状である。平和主義という希求すべき理念は硬く保持しつつも、その理念を現実の批判に晒して吟味し、議論によって鍛えていくことが肝要であるのは言うまでもない。そうした自己批判を伴わない理念は徐々に空洞化していくからである。