弔いを終えて | autochromatics differencia

弔いを終えて

 前回の記事を書いて以後、何人かの方から祖母を心配する言葉を頂いた。このような不案内で不親切なブログでも読んで下さる人が少なからずいるのだと思うと、もう少しサービス精神を発揮して書かねばならないと反省した次第である。


さて、後記をお伝えする。祖母は土曜日の昼に静かに息を引き取り、私もそれを傍らで看取ることができた。金曜のゼミを終えてから急いで帰省し、祖母が入院中の病院へ駆けつけたときには、すでに危篤状態で意識もほとんどなく、かろうじて呼吸を行うのがやっと、という状態だった。呼吸のひとつひとつがまるで難事業のようで、私たちが普段行っている(あるいは「行っている」とさえ言いがたい)生命維持活動を継続するのに、どれほど膨大なエネルギーを必要としているのかをまざまざと実感させられた。その後私は夜通し付き添い、祖母も何とか朝まで持ちこたえることができ、翌日の昼に二人の叔父も含めて数名の親族に囲まれたなか、潮が引いてゆくように呼吸が止まり、臨終の時を迎えた。先ほど葬儀を無事に終え、今は小さな骨壷に収まり(それでも齢八十八の女性にしては綺麗に骨が残っていた。癌には勝てなかったが、元々が頑健で気丈だったのだ。心臓も最期まで強かった)、家の仏壇に鎮座している。

 人一人が亡くなるということは一大事業である。雑務に奔走し、馴れない親族外交に借り出され、それぞれの親族や隣組の思惑のずれに整理を付け等々、めまぐるしい二日間だった。弔辞は帰省途上の特急で半ば書き上げ、最後は祖母が亡くなってから仕上げた。読了後、会食の席で多くの方からお褒めの言葉を頂いた。祖母のために書いた文章なので嬉しい限りである。今後読者の方のなかにも弔辞を書かれる方がいるかもしれないので(なるべくそういう機会は減らしたいところだが、生まれた以上はいずれ死んでゆくのだから仕方ない)、後学のために掲載しておくことにする。祖母に逢ったことのある友人も少なからずいるので。合唱してあげて下さい。



弔辞


 おばあちゃん。今こうして、永年の眠りへ就いたおばあちゃんと、僕はもう顔を見合わせることも、手を握り合うことも、言葉を交わすこともできません。せめて弔いの言葉を贈ることで、おばあちゃんへの手向けとさせて下さい。

おばあちゃんとの思い出は、僕の記憶とともに古くからあります。おばあちゃんから受けた愛情のその温かで穏やかな感触は、今もこの胸のなかにしっかりと残っています。おばあちゃんは手先の器用な人で、幼少時には、折り紙や綾取りなど、伝統的な遊びの数々を一緒になって教えてくれました。頬を火照らす初夏の日差しの中、頭を並べて草取りをした記憶もあります。日曜日の昼下がりに、ラジオを聴きながらのんびりとお茶を飲んだり、手鞠の毛糸を巻き取る手伝いをしたり、玄幡様のお祭りへ連れていってくれたり。こうして蘇ってくるひとつひとつは小さくささやかな思い出ですが、それらは今もこうして僕の中で、仄かな明かりを灯し続けています。

僕が高校生のとき、おじいちゃんが亡くなり、その後、ともに暮らしていた僕たち孫兄弟も生まれ育った生家を離れていくことになりました。実家へと帰省するたびに、笑顔で、しかしどこか寂しさの漂う笑顔で、おばあちゃんは僕を迎えてくれました。そのたびごとの姿が今ありありと眼前に浮かんできます。先の正月に帰省したときには、募らせていた寂しさを溢れさすように、涙を目尻からぽつりぽつりとこぼしていました。僕は手をとり慰めましたが、それは胸を打つ涙でした。

「末期の胆管癌に罹り、余命はあと数ヶ月だ」と父より電話で聞かされてから、半年も経たずに、おばあちゃんはその命を限らすことになってしまいました。これが言葉を交わす最後の機会になるかもしれないという思いを抱きながら、入院している病院へとお見舞いに訪れたとき、半分絶食状態のおばあちゃんの姿は、皮膚を通して骨が透けて見えそうな程の痛々しいものでした。思うように体も動かず、おばあちゃんは病床にある我が身を持て余しているように見えました。時はもどかしくなるほどゆっくりと、しかし確実に、その取り分を取っていきます。こうしたおばあちゃんの姿を見ているのは、身内として、孫として、切なく胸の詰まる思いでした。

 亡くなる前の最期の夜に付き添った病床の横で、疲労と睡魔に耐え切れずに落ちた浅い眠りのなか、僕は夢を見ました。その夢のなか、おばあちゃんは意識を取り戻し、艶やかで朗らかな笑顔をしてベッドの上から声を掛けてくれました。「こうして元気になったのも、孫たちのおかげだわや」、と。それは僕の儚い願望の現われであったのかもしれません。その夢が正夢となることはなく、おばあちゃんは静かに、眠り込むように、息を引き取りました。

 おばあちゃん、長き人生行路、お疲れになられたでしょう。今はただ安らかにお眠り下さい。そして、遺された僕たちを取り巻く風となって、それぞれの行く末をいつまでも温かく見守っていて下さい。

合掌。